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ジミー・ペイジのセッションマンとしての多大な功績
ロックの歴史上、最も偉大なギター・ヒーローの一人として知られるジミー・ペイジは、それ以前は、決して期待を裏切ることのない臨時雇いのセッション・ミュージシャンとして、きわめて高い評価を得ていた。そしてそれは、ヤードバーズのメンバーになり脇道に逸れたときも、レッド・ツェッペリンの結成を思い立ったころも変わらなかった。決しておおげさではなく、1944年にミドルセックスで生まれたこのミュージシャンは、10代にして既に非凡な存在だったのだ。
ジミー・ペイジは、彼が幼少のころブルースの世界に君臨していたB.B.キングやバディ・ガイといったブルース・マン、エルヴィス・プレスリーの右手として知られたスコッティ・ムーアといったアメリカのギター・ヒーローたちの影響をかめてから認めている。ジミー・ペイジの早熟ぶりは並外れており、イギリスがスキッフル・ブームに沸いたころ、彼は10代にして既にテレビ出演も果たしている。
ジミー・ペイジは学生だったころからバンドの一員としてロンドンの有名なクラブ、マーキーのステージで演奏を披露しており、そうした活動をきっかけにセッション・ミュージシャンとしての活動を始めている。そのキャリアの初期、彼はニール・クリスチャンのグループ、クルセイダーズなどに在籍する一方、ジョン・マクラフリン(彼もまた、ジミー・ペイジと同様、やがてギターの名手として知られることになる)からギターの手解きも受けている。
ジミー・ペイジの演奏したレコードが初めてチャートの首位を獲得したのは、彼が19歳になってから間もなくのことだった。彼がアコースティック・ギターを弾いたジェット・ハリス&トニー・ミーハンのシングル「Diamonds」がそのレコードだ。ジミー・ペイジはその後も、ビッグ・ジム・サリヴァンと共にさまざまなレコーディングにセッション・ギタリストとして参加。デイヴ・ベリーの「My Baby Left Me」や彼の1964年のヒット曲「The Crying Game」でも演奏。その活動は次第に勢いづいていった。
その名前が演奏者としてクレジットされることこそほとんどなかったものの、ジミー・ペイジがセッション・ギタリストとして参加した楽曲は枚挙に暇がない。ゼムの「Baby Please Don’t Go」に聴けるあの印象的なソロもジミー・ペイジによるものだったし、彼は「I Can’t Explain」をはじめとするザ・フーのレコードにも参加。同曲と同様、1964年を代表する1曲に数えられるナッシュヴィル・ティーンズのヒット曲「Tobacco Road」やマリアンヌ・フェイスフルの「As Tears Go By(邦題:涙あふれて)」、意外なところではペトゥラ・クラークの「Downtown(邦題:恋のダウンタウン)」のレコーディングにも起用されている。
1965年、彼はデッカからソロ・シングル「She Just Satisfies」を発表したが、このレコードは不成功に終わり、結果的に同作はジミー・ペイジ名義の唯一のシングルになった。しかしながら、ザ・ローリング・ストーンズ、ザ・キンクス等の気鋭のミュージシャンの作品への参加でジミー・ペイジはその評価を高めていった。トム・ジョーンズ、ビリー・フューリー、ルルといったアーティストもジミー・ペイジをその作品に起用。ドノヴァンの「’Season Of The Witch(邦題:魔女の季節)」、ブレンダ・リーの1964年のヒット「Is It True」も同様だ。また、やがてプロデューサーとして成功することになるミッキー・モーストがソロ・アーティストとして残した作品のレコーディングにも、ジミー・ペイジはしばしば起用されている。
この時期、ジミー・ペイジがたびたび共に仕事をしたセッション・ミュージシャンが、後年、レッド・ツェッペリンで活動を共にすることになるジョン・ポール・ジョーンズだった。2008年のアンカット誌のインタビュー記事で、当時を振り返り、ジョン・ポール・ジョーンズは以下のように語っている。「僕がプロフェッショナルなミュージシャンとして仕事を始めた時分(1963年初頭)には、既に彼は一定の評価を得ていた。彼がニール・クリスチャン&ザ・クルセイダーズのメンバーとして活動していたころだよ。『すごいやつがいるから絶対に演奏を聴いてみるべきだ』って感じでね。実のところ、一緒に仕事をするようになるまで、彼の演奏を聴いたことはなかったんだけど、評判になっていることはよく知っていたよ」。
レッド・ツェッペリンの結成が間近に迫り、自身の存在が世間に広く知られるようになっても、ジミー・ペイジはセッション・ワークを続け、いくつかの大ヒット曲に貢献している。1968年にイギリスのチャートの首位に立ったジョー・コッカーの「With A Little Help From My Friends(邦題:心の友)」(ザ・ビートルズの同名曲のカヴァー・ヴァージョン)はその一例で、イントロに聴けるあのエモーショナルなギター・ソロを弾いているのは、当時、たったの23歳だったジミー・ペイジその人である。
「僕が仕事を始めるまでは、彼が最年少のセッション・プレイヤーだったんじゃないかな」とジョン・ポール・ジョーンズは回想する。「仕事場で顔を合わせると、僕たちはいつだって喜んだもんだよ。流行に敏感な若手同士でリズム・セクションを組めるってことだからね」。
Written by Paul Sexton
ジミー・ペイジ 唯一のシングル「She Just Satisfies / Keep Moving」