アルバム『Dark Horse』の制作は、1973年11月、フライアー・パークの自宅で始まった。 セッションでは当初、『Living In The Material World』に参加していたのと同じラインナップのミュージシャンを起用。つまり、リンゴ・スター、ジム・ケルトナー、クラウス・フォアマン、そしてゲイリー・ライトとニッキー・ホプキンスが、代わる代わるキーボードを担当していた。この時点でレコーディングされていたのが、「Ding Dong, Ding Dong」と、表題曲の初期ヴァージョン、そして「So Sad」のベーシック・トラックだ。 1975年3月、ジョージの近隣に住んでいた、テン・イヤーズ・アフターのアルヴィン・リーと、その後間もなくしてローリング・ストーンに加入するロニー・ウッドが、「Ding Dong」にリード・ギター・パートを加えている。
1974年4月、ジョージはロンドンのニュー・ビクトリア劇場で行われたジョニ・ミッチェルのコンサートを観に行った。彼は、ジョニのバックを勤めていたジャズ・ロック・バンド、LAエクスプレスに感銘を受け、サックス奏者兼フルート奏者のトム・スコットが率いるこのバンドを、翌日フライアー・パークに招待。これで、ハリスン、スコット、ロベン・フォード(ギター)、ロジャー・ケラウェイ(キーボード)、マックス・ベネット(ベース)、ジョン・ゲラン(ドラムス)が揃い、この顔触れでインスト・トラックを録音。それが後に、アルバムのオープング曲「Hari’s on Tour (Express)」となった。 彼らはまた、 アルバム『Dark Horse』収録の「Simply Shadey」も録音している。 スコットはその後しばらくフライアー・パークに滞在し、「Ding Dong」の他、2つの新曲にホーンを被せて録音した。
8月下旬、ジョージは、ビリー・プレストン、スコット、ドラマーのアンディ・ニューマーク、ベースにウィリー・ウィークスという面々でアルバムに着手。 この全員がツアーに参加する契約もしていた。彼らがレコーディングしたのは、「Maya Love」と「Far East Man」、そして「It Is ‘He’(Jai Sri Krishna)」だ。 10月上旬、ジョージはLAに飛んでツアーの準備を始めたが、その時彼の声は既に不調に陥っていた。 新しいアルバムを完成させなければならない状況の中、彼は相当なプレッシャーを受けていたのだった。
ツアーを終え、アルバムを発表したジョージが、1975年1月にフライアー・パークに戻った際、彼はデレク・テイラーにこう言った。「飛行機から降りて、家に帰ると、まず庭に行ったんだ。すごくホッとしたよ。 あの時、僕は神経衰弱スレスレだった。 家の中に入ることさえできなかったんだ」。 その3ヵ月後、彼はロサンゼルスに戻り、次のアルバム『Extra Texture (Read All About It)』に着手することになる。