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2作連続チャートトップを獲得したブロンディの名作『Eat To The Beat』
1978年の『Parallel Lines(邦題:恋の平行線)』のおかげでブロンディは全米でトップ10入りし、イギリスでは余裕でチャートのトップを飾り、デボラ・ハリーと仲間たちはもはや「X Offeneder」をレコーディングした駆け出しのパンク・アクトではなく、一瞬でフックを生み出す能力を持つ巨大なポップ・スターへと変貌を遂げていた。そして『Parallel Lines』でもプロデュースをつとめたマイク・チャップマンが彼らの新曲をラジオ・フレンドリーなアンセムに仕上げたことで、新作『Eat To The Beat(邦題:恋のハートビート)』は1979年10月13日にブロンディにとっての2枚目の全英チャートのトップを制した作品となった。
ポップスとしての評判を確実なものにしながら、ブロンディは自分たちは何でもできるということを証明しようという心構えでスタジオに入った。彼らのスタイルについて騒がれていた中、『Eat To The Beat』はイエロー・タクシー、衰えた退廃、エキゾチックな雰囲気で渇望する歓楽街などの空想の中のニューヨークを描いたことで一貫した聴きごたえを保ち、自然と作品を心待ちにしていたイギリスのファンを虜にした。グループの初期の頃のどう猛さを手がかりに、タイトル・トラックはブロンディの特徴的なポップ・パンクを鋭く切り取った曲となった一方で「Union City Blue」では、何でも起こり得る街を彷徨っている時にしか感じないようなロマンチックな切望がある。
いとも簡単にスタイルを切り替え、オープニング「Dreaming」では恥じることなく大胆になったと思えば、「The Hardest Part」ではストリート・スマート・パンク・ファンクの最高峰を見せつける。また『Eat To The Beat』はブロンディが初めてレゲエにチャレンジした作品でもあり、「Die Young Stay Pretty」は次作のシングルである「The Tide Is High」(1980年に米英ともにチャート・トップを制覇)の前触れを表している。そして「Atomic」の快楽のラッシュは、ニューヨークのディスコ・シーンを見事に表していた。
大ヒットだった前作が好まれるあまり見過ごされがちなアルバム『Eat To The Beat』は人々が記憶しているよりも大きなことを成し遂げ、アメリカでもイギリスでもプラチナを達成。野心的だったグループはアルバムの12曲全曲のプロモーション・ビデオを制作、その殆どをニューヨークで撮影したことである種ニューヨークの非公式なサントラ的な立場を確立し、世界初のビデオ・アルバムを創り出した。
Written by Sam Armstrong
ブロンディ『Eat To The Beat』