新たな世紀、新たな音、そして新たな記録の樹立。2000年、U2の世界では実に多くのことが起こっていたが、何よりも重要なのは、ローリング・ストーン誌をして「U2第3の傑作」と言わしめた、新たなアルバムの誕生だ。
1997年の『Pop』における実験性豊かな波乱万丈の冒険旅行を経て、バンドが決意したのは、彼らがそもそもいかにして名を上げたのかを、人々に思い出してもらう時が来たということであった。つまり、壮麗な、そして今回は新千年紀に向けた、祝賀的なロック・ミュージックを作るということによって、である。
そうした中、2000年10月には、現在までに1,200万枚もの驚異的な売り上げを記録している『All That You Can’t Leave Behind』を発表。このアルバムは、他のアーティストがそれ以前、またそれ以後も、誰も成し遂げていなかったことを達成した。本作には、グラミー賞の年間最優秀レコード賞受賞シングルが、1曲ならず2曲収録されている。つまり2001年の「Beautiful Day」と、2002年の「Walk On」だ。本作ではこの2つだけでなく、合計7つものグラミー賞を獲得。世界最高のロックン・ロール・バンドの役割を担う契約は、絶賛を以って更新された。
『All That You Can’t Leave Behind』のレコーディングは、ウィンドミル・レーンを含むダブリンの4ヵ所、そしてフランス南部で行われ、今回は“U2版ドリーム・チーム”と呼びたくなる陣営が嬉しい再集結を果たした。『The Unforgettable Fire(邦題:焔(ほのお))』と『The Joshua Tree』、そして再び『Achtung Baby』で、彼らを世界最高クラスのバンドに押し上げたあのサウンドが生み出された際に手を貸してくれた、ダニエル・ラノワとブライアン・イーノがプロデューサー席に戻って来たのである。彼らはバッキング・ヴォーカルやその他の楽器も担当。さらに初期コラボレーターであったスティーヴ・リリーホワイトがプロダクションを手掛けた曲もあった。その結果完成した作品は、爆発的かつ喜びに満ちたものとなっている。
史上最大スケールのロック・ツアーの1つとして、ほぼ1年をかけて行われてきたPopMartツアーが遂に幕を降ろしたのは、U2にとって初となる南アフリカ公演から間もなくのこと。続いて彼らは、選ばれた少数の者だけしか得られない栄誉を授かった。米アニメ『ザ・シンプソンズ』への出演だ。番組の“Trash of the Titans(邦題:スプリングフィールドのゴミ戦争)”と題された回で、U2のPopMartコンサートへの乱入事件を起こしたにも拘らず、スプリングフィールドの清掃局長に立候補していたホーマーは地滑り的な勝利を得たのだった。「誰か他に出来る者はいないのか?」というキャンペーン・スローガンを掲げていたのだから、無理もない。
バンドがその年、アムネスティ・インターナショナルのために、自ら現実のキャンペーンに乗り出した頃にも、U2の名前は世界中のチャートで健在であった。ベスト盤向けに再録音された「Sweetest Thing」は、最初にシングルB面曲としてリリースされてから20年を経て大ヒットとなり、同曲が収録されたコンピレーション『Best Of 1980-1990』は何百万枚ものセールスを達成。シングルB面集が付属する2枚組の限定盤も併せて発売されている。
ボノにとっての1999年は、モハメド・アリに(BRITSの)フレディ・マーキュリー賞を献呈したり(*訳注:発展途上国の対外債務帳消しを唱えるジュビリー2000の運動に参加。モハメド・アリはこの運動のアンバサダーを務めた。このBRITSでこの運動がローンチされた。フレディ・マーキュリー賞はめざましい慈善活動を行った人に与えられた)、ボブ・ディランと再びステージで共演したり、ブルース・スプリングスティーンがロックン・ロールの殿堂入りをした際、ニューヨークで行われた授賞式で賞の贈呈役を担ったりと、印象深い出来事の連続で幕を開けた。しかしその一方で、後に『Pop』の次作となるアルバムのためのソングライティングやデモ・セッションは、既に進行中であった。
基本に立ち返り、『All That You Can’t Leave Behind』の各曲をシングル候補になり得るものにしようと真剣に取り組んでいた姿勢について、ボノはこう要約している。「当初から、」とボノ。「音楽が現実世界と出会うということに、僕らは胸を躍らせていたんだ。今作に着手する前、僕らが考えていたのは、人々はもうロック・アルバムを買ったりしないんだろうってことだった。最近増加しつつあるブログレッシヴ・ロック病のせいでね。そこではシングルのことは忘れ去られている。僕らの頭の中では、今回のアルバムのために11のシングル曲を書いてきたことになっているんだ」。
その決意の動かぬ証拠となったのが、オープニングのシングル「Beautiful Day」だ。これは、スタジオから放たれた途端に人々が声の限りに熱唱するアンセムと化す、稀少な曲の1つであり、リリース後、U2のライヴでは毎回欠かせない定番曲となった。
「Beautiful Day」は全英チャート1位を獲得。世界的には、その2週間後に発売されるアルバムに向けた、望み得る限り最良の予告編となった。新世紀を祝う曲として、「今日は素晴らしい日/みすみす逃してしまわないで」と歌う歌詞より相応しいものがあるだろうか? この曲は、2001年のグラミー賞で最優秀楽曲賞を獲得しただけでなく、最優秀レコード賞および最優秀ロック・パフォーマンス賞:ヴォーカル入りデュオまたはグルーブ部門も受賞している。
1990年代後半にU2が取り入れた、クラブとの互換性があるサウンドの要素は、「Elevation」に残っていた。次のグラミー賞でU2が賞を獲得した曲は3つあり、この「Elevation」はそのうちのひとつとなるが、それがバンドの最優秀ロック・パフォーマンス賞のトロフィー保持に寄与したというのもユニークなことである。このアルバムの核心は、曲の包括的な臨場性にあった。2002年のグラミー賞では、「Stuck In A Moment You Can’t Get Out Of」が最優秀ポップ・パフォーマンス賞を受賞。聴き手を奮い立たせる、挑戦的な「Walk On」は最優秀レコード賞を獲得し、授賞式に出席した彼らはそこで同曲を披露した。
これらの名高い曲を支えているのが、「Kite」や、超ポジティヴな「In A Little While」、チャーミングな「Wild Honey」、「Peace On Earth」「When I Look at The World」、緩やかな「Grace」といった、強力なアルバム・トラックだ。U2がそういったことを当然のように受け止めたことは一度もないが、本作はヨーロッパ各国やオーストラリアを始めとする世界中のチャートを席巻し、次々と1位を獲得していった。
ローリング・ストーン誌はこのアルバムを傑作と称したが、その理由は同誌曰く、彼らがこれまでに積んできたあらゆる経験が、ここで見事な総決算として呈示されているからであった。「U2は20年に渡る音楽制作を凝縮しており、全てを楽々やってのけてきたように錯覚させる。それは通常ベテランにのみ可能なことだ」とレビューは続く。「本作は、U2が今まで紡いできた強力なメロディの精髄を一体化させたアルバムである」。
2001年3月に開始されたElevationツアーは、アルバムの大成功を祝うもうひとつの祝典であった。その年の残りをツアーに費やした彼らは、14ヵ国で113公演を行い、驚異的な計200万人もの人々を魅了。ヨーロッパ・ツアーではロンドンのアールズ・コートで4公演、夏にはアイルランドのスレーン城で大規模な野外公演が行われた。
ツアーのアンコールとなったのは、米ルイジアナ・スーパードームで行われた第36回スーパーボウルのハーフタイム・ショーへの出演という、非常に名誉ある役どころであった。米同時多発テロ事件(9.11)で命を失った全ての人に、その夜のパフォーマンスを捧げた彼ら。新たな代表曲である享楽的な「Beautiful Day」を解き放った後、「MLK」と「Where The Streets Have No Name」を披露したその夜は、U2の過去と現在とが結び付き合った特別なステージであった。正に、素晴らしき日々だと。
Written by Paul Sexton
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