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ロビー・ウィリアムス起死回生の「Angels」、ロイヤル・アルバート・ホールとネブワースのライヴ

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英米では2024年12月末に一部劇場で限定公開された後に拡大公開され、日本でも3月28日に劇場公開が決定している映画『BETTER MAN/ベター・マン』

2017年の長編映画監督デビュー作品『グレイテスト・ショーマン』が世界中で大ヒットを記録したマイケル・グレイシー監督による長編第2作となるこの作品は、英国随一のポップ・スターであるロビー・ウィリアムスをCGを使って“サル”として描き、そのビジュアルで観客に衝撃を与えながらも、ミュージカル映画としても評価され、映画批評サイトのRotten Tomatoesにて批評家からのレビューが90%、観客のレビューが95%という高い数値をたたき出している(2025年1月9日現在)。

では、この映画で描かれたロビー・ウィリアムスとは、どういったアーティストなのか? 彼をデビューの頃から追い続けている音楽ライターの新谷 洋子さんに連載として解説いただきます。その第2回は、彼の。

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映画『BETTER MAN/ベター・マン』特報

 

ソロ・デビュー・アルバム

1996年の2月にテイク・ザットが解散したことで、グループが存続している間は活動できないという契約条件から解放され、まずはカヴァー曲でカムバックを果たしたロビー。となると当然、次はアルバムへの期待が高まる。実際子どもの頃から詩を書くのが好きだった彼の手元には、長年書き溜めていた歌詞のアイデアがたくさんあった。だが楽器を演奏しないロビーの場合、それらに言葉を聞き手に届けるメロディを一緒に紡ぎ、サウンドを作り上げてくれるコラボレーターを必要としていた。

そこに現れたのが、10歳ほど年上のガイ・チェンバーズだ。10代の頃からバンド活動を行なう一方、ギルドホール音楽院でピアノと作曲を学んだ彼は、ロビーと出会った頃は主に、元ザ・ウォーターボーイズのカール・ウォリンジャーが結成したワールド・パーティーのキーボーディストを務めていた。

従って一般的にはほとんど知る人のいないミュージシャンだったのだが、音業界関係者に紹介されてガイの自宅兼スタジオで初めて顔を合わせた時から、ふたりは相性の良さを実感。早速その日にうちに一緒に1曲を仕上げ、強固なパートナーシップを確立していく(ガイはロビーのツアーバンドの音楽監督も務めることに)。

そして1997年9月、ほぼ全編ふたりの共作曲で構成されたロビーのソロ名義のファースト・アルバム『Life Thru A Lens』がいよいよ登場するのである。ちなみにこの間もアルコールなどへの依存を引きずっていた彼は、レコーディングを終えた時点でリハビリ施設へと向かい、正式な再出発に際して一旦悪癖を断った。

Lazy Days

 

今一つの船出と「Angels」

ではソロ・アーティストとしてのロビーはどんな路線を選んだのか? 彼は迷いなく大好きなギターロックへと舵を切り、ブリットポップの影響を色濃く受けたサウンドを志向。きっぱりとテイク・ザットのそれと差別化し、パーソナルな体験や心境を歌い始めるのだが、リスナーの反応は今ひとつだった。

先行シングル「Old Before I Die」は全英チャート最高で2位を記録したものの、アルバムの発売初週のチャート・ポジションは11位。他方で、まるで狙ったかのように同時期に華々しくソロ・デビューした宿敵ゲイリー・バーロウの最初の2枚のシングルは共にナンバーワンを記録し、アルバム『Open Road』も同じく全英1位に輝き大ヒットを博して、出だしから水をあけられてしまう。ロビーの心中は穏やかでなかっただろうことは想像に難くない。

Robbie Williams – Old Before I Die

こうして業界内では期待外れと受け止められ、へたをすると“終わった”とも見做されていたロビーのキャリアはしかし、1997年12月にダメ押し的にカットされた4枚目のシングル「Angels」によって救われる。

「Angels」はそれまでの生意気でお調子者のイメージにそぐわない、ピアノがリードするドラマティックなバラード。試練に直面した時に手を差し伸べてくれる守護天使を讃えるこの曲は、彼が自分の脆さや弱さをさらけ出すという意外性で人々にアピールし、共感を誘い、ちょうどクリスマス前に発売されたこともスピリチャルな趣の曲にはプラスに働いたのだろう。

Robbie Williams – Angels

ナンバーワンこそ逃したが(最高4位)、13週間にわたってトップ10圏内に留まり、英国内でのセールスは100万枚を突破。アメリカでは相変わらず無風状態が続いたが、やがてはヨーロッパ全域を巻き込む起死回生のロングヒットと化すのである。

これを受けて『Life Thru A Lens』も改めて全英チャートを上昇。リリース29週目にしてナンバーワンを獲得すると、1998年6月にグラストンベリー・フェスティバルでの初舞台で観衆を魅了したロビーは、早くもその2カ月後にセカンド・アルバム『I’ve Been Expecting You』を送り出す。

 

2枚目のサウンド

前作のロック路線を踏襲しながらもブリットポップの枠に縛られずに様々な時代にインスピレーションを求め、リハビリのおかげなのか、独自のシアトリカルな趣向が盛り込まれた曲のクオリティは飛躍的にアップ。

ソロ名義では初めて全英1位の座に上りつめたファースト・シングル「Millennium」から、ニール・ハノン(ディヴァイン・コメディ)とニール・テナント(ペット・ショップ・ボーイズ)をゲストに迎えてテイク・ザット時代を振り返る「No Regrets(=後悔無し)」まで、名曲がずらりと揃った。

Robbie Williams – Millennium

最終的に『Life Through A Lens』と『I’ve Been Expecting You』は共に英国内で2百万枚を売り上げ、1999年のブリット・アワードでは最優秀男性ブリティッシュ・アーティスト賞と最優秀ブリティッシュ・シングル賞(「Angels」)を含む3冠を達成。以来彼の存在を抜きにブリット・アワードは成立しなくなった。

次いでアイヴァー・ノヴェロ賞でも1999年に年間最優秀ソングライター賞を受賞するのだが、1993年に同じ賞を手にしていたゲイリーのほうは、セカンド『Twelve Months, Eleven Days』(1999年)で早くも失速。チャート最高位は35位に終わり、間もなく表舞台から姿を消してしまう。ロビーが事実上の引退に追い込んだと言っても過言ではないだろう。

 

自らを解放したジャンル

続いて2000年には間髪入れずにサード・アルバム『Sing When You’re Winning』を発表。ここにきてロックへのこだわりから自分を解放し、ファンクもカントリーも取り入れて、時にはラップにも挑戦し、カイリー・ミノーグとデュエットして、自由な感覚で広義なポップソングを鳴らすことに終始した。

その後彼は、映画『ブリジット・ジョーンズの日記』に提供した「Have You Met Miss Jones?(ジョーンズ嬢に会ったかい?)」のカヴァーが好評だったことに刺激され、自身の音楽的原点に回帰。フランク・シナトラらが好んで使ったロサンゼルスのキャピトル・スタジオで、ジャズ界の名プレイヤーたちを交えてアメリカン・スタンダードを歌うスウィング・アルバム『Swing When You’re Winning』(2001年)を制作し、発売を記念して2001年10月にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでスウィング・コンサートを敢行(その模様はDVD『Live at the Albert』に収録されている)。58人編成のオーケストラを従え、スーツ姿で古典的名曲の数々でオーディエンスをもてなし、エンターテイナーとしての表現の幅広さを印象付けるのだった。

Robbie Williams | 'My Way' | Live At The Albert

 

私生活と大ヒットした『Escapology』

そんなわけでキャリアは順風満帆だったのだが、成功は大きなプレッシャーをもたらし、マスコミとの闘いも待ち受けていた。オール・セインツのニコール・アップルトンやスパイス・ガールズのジェリ・ハリウェルといった人気ポップスターと次々に浮名を流していたがゆえにパパラッチに執拗に追われ、タブロイド紙にはスキャンダラスな記事を書き立てられ、疲弊していったロビー。

鬱状態に陥った挙句、逃げるようにして2002年にロサンゼルスに移り住み、彼が何者なのか誰も知らない町で自分を癒した。つまり、アメリカでブレイクしなかったことが究極的にはロビーを救ったのである。

そして英国史上最高額の800万ポンド(当時のレートで約14億円)でEMIと新たに契約を結んだ彼は、5作目『Escapology』(2002年)でまさにそのアメリカのこと、1999年に亡くなった最愛の祖母のことを歌い、自虐的な自己分析を繰り広げて、実に複雑なセルフ・ポートレイトを完成。同作はリリース後僅か3週間で英国内で120万枚を売り上げ、世界合計のセールスは800万枚に迫り、それまでにも勝る勢いを見せた。

Robbie Williams – Feel

 

ギャラガー兄弟とネブワースでのライヴ

そう、6年間に5枚のアルバムを全英チャートの1位に送り込み切れ目なくヒットを放って、この時点ではゲイリーはもちろん、英国内では他の全てのアーティストの遥か先を独走していたものの、ここでまた転機が訪れる。『Escapology』の制作中にロビーとガイは音楽的方向性を巡って衝突し、同作をもってコラボ関係を解消。実り多きソロの第一章のフィナーレを飾る一大イベントを企画する。

というのも、当時の彼にとってゲイリーへのルサンチマンと並ぶ原動力と言えば、束の間の蜜月から一転、互いに挑発し罵り合ってきた、オアシスのギャラガー兄弟に対するライバル意識(ロビーと別れたのちニコールがリアム・ギャラガーと交際を始めたことも話をややこしくした)。1996年夏に英国ネブワースで行なった公演で2日間に約25万人以上を集め、当時の英国内最多記録を更新した兄弟の鼻を明かそうと、同じ会場で2003年8月に3日間にわたってコンサートを行なう旨を発表したのである。

ライヴ作品『What We Did Last Summer』に記録されているその公演でロビーは見事、前述した通り合計で375,000人を動員。彼我の差を見せ付けると共に、最終公演ではキャリアを網羅するセットを披露したのちのアンコールで、テイク・ザットのメンバーの中で唯一友人関係を維持していたマーク・オーウェンと、ゲイリーが綴った名曲「Back For Good」をロック・アレンジでカヴァー。色んな意味で10代から20代の自身の歩みを総括した彼は、翌年のベスト盤『Greatest Hits』を挿んで次の章に突入することになる。(続く)

Robbie Williams Back For Good Live At Knebworth Ft Mark Owen 03 08 03 video

Written By 新谷 洋子


映画公開にあわせてベスト盤が再発ロビー・ウィリアムス『Greatest Hits』
2004年10月18日発売
CDiTunes Store / Apple Music / Spotify / YouTube Music / Amazon Music


映画情報

映画『BETTER MAN/ベター・マン』

2025年3月28日(金)日本全国ロードショー

<監督> マイケル・グレイシー(『グレイテスト・ショーマン』)
<出演>ロビー・ウィリアムス
<原題>『BETTER MAN』

公式HP:https://betterman-movie.jp/
2024 Better Man AU Pty Ltd. All rights reserved

映画『BETTER MAN/ベター・マン』特報



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