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没後30年にあわせてロリー・ギャラガー銅像がベルファストに設置
アイルランドの伝説的なブルース・ミュージシャン、ロリー・ギャラガー(Rory Gallagher)の没後30年にあわせて、彼の銅像がベルファストのアルスター・ホールの外に設置された。この記念碑は、彼とこの街との深い繋がりを称えるものだ。
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“ブロンズ・アート・アイルランド”の彫刻家、アント・ブレナン、ジェシカ・チェックリー、そしてデヴィッド・オブライエンによって制作されたこの実物大の銅像のデザインは、1972年にMelody Maker誌の表紙を飾った、アルスター・ホールでのロリーの演奏シーンから着想を得ている。
ロリー・ギャラガーはバリシャノンで生まれ、コークで育ったが、1967年にベルファストへ移り、この街の音楽シーンに多大な影響を与えた。
ロリー・ギャラガーのキャリアは、彼がわずか18歳の時に結成したブルース・ロック・トリオ“テイスト”から始まった。数年にして国際的な注目を集めるようになった彼らは、クリームが1968年にロイヤル・アルバート・ホール行った有名なラスト・コンサートや短命に終わったスーパーグループ、ブラインド・フェイスの北米公演などのオープニング・アクトを務めた。2015年8月には、テイストのレガシーを称える4枚組CDボックス・セット『I’ll Remember』が発売されている。
テイストは1970年にワイト島ミュージック・フェスティバルに出演し、2作のスタジオ・アルバムを制作。セカンド・アルバムの『On The Boards』は全英チャートでTOP20入りする成功を収めたが、同年末までにバンドは解散。
ロリー・ギャラガーはその後すぐに、アトランティック・レコーズとソロ契約を結び、1971年にセルフ・タイトルのデビュー作とセカンド・アルバム『Deuce』の2作を立て続けに発表。この2作が彼の長い作品リストの中で、初めてシルバーとゴールドに認定された作品となる。
そして、ロリー・ギャラガー作品で唯一、全英TOP10入りを果たしたのは、彼の名高いステージ・パフォーマンスを収めた1972年のライヴ・アルバム『Live In Europe』だった。今作は彼にとって最長記録となる15週間に亘ってチャートイン。翌年には『Blue Brint』で自身初の全米チャート入りを果たしている。
ロリー・ギャラガーは決して名声を得ようとはしなかったが、その生涯を通して続けた多作なレコーディングとツアーによって名声を築き上げていった。1990年に発表した11作目のアルバム『Fresh Evidence』が彼の最後のスタジオ・アルバムとなった。1995年6月14日、肝臓移植による合併症のため47歳の若さで亡くなった当時、彼は新作ツアーやEPのリリース、その他にも様々な計画を立てていたという。
ロリー・ギャラガーにとってはとにかく音楽が全てだった。Metal Hammer誌での彼の最後のインタビュー中で、彼は音楽ジャーナリストのクリス・ウェルチにこう語っていた。
「ファッションには関係なく、ブルースとロカビリーのファンはまだいるんだ。確かに、長い間、メディアはルーツ・ミュージックが時代遅れで終わったものだと見下していた。でも僕がやろうとしてるのはルーツ・ミュージックに敬意を払いながらも、古いブルースやアシッド・ロックのスタンダードをいつもやるのではなく、新しい素材に基づいた音楽を作ることなんだ。音楽そのものをアップデートし、新しいコード進行やメロディを生み出すことが鍵なんだ」
Written By Sam Armstrong
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