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U2『How To Dismantle An Atomic Bomb』20周年盤発売記念、担当者が語る当時と来日、周年版の魅力
2004年11月22日にリリースされたU2の11枚目のスタジオ・アルバム『How To Dismantle An Atomic Bomb』の20周年記念盤が2024年11月22日に発売された。
この作品には、オリジナル・アルバムの初のリマスターに加え、未発表5曲を含む10曲が収録される『How To Re-Assemble An Atomic Bomb』などを含んだスーパー・デラックス・コレクターズ・ボックスセット(5CDまたは8LP)や、1CD、2LP、カセット、デジタル配信などで多形態で発売となっている。
これを記念して、オリジナル版、そして20周年記念盤の日本の担当A&Rであるユニバーサル ミュージックの高橋さんにお話を伺いしました。
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20年前、発売前の状況
── 今回、U2がアルバム『How to Dismantle an Atomic Bomb』の20周年記念盤を発売するということで、リリース当時のご担当でもあり、今回の20周年盤のご担当でもあるユニバーサル ミュージックの高橋さんにいろいろお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。
高橋 よろしくお願いします。
── まず、リリース当時のご担当だったということですが、それ以前からU2を担当されていたんですか?
高橋 その前のアルバム『All That You Can’t Leave Behind』(2000年)から担当したのですが、2000年3月にボノが原案でヴィム・ヴェンダースが監督、ミラ・ジョヴォヴィッチ出演の映画『ミリオンダラー・ホテル』のサントラ盤があり、U2と同じIslandからのリリースでU2の新曲が収録されていて、U2に関係する作品を担当したのはそれが初です。アルバムは『All That You Can’t Leave Behind』からで、2002年にベストアルバム『The Best of 1990-2000』(邦題:ザ・ベスト・オブU2 1990-2000)がリリースされて、『How to Dismantle an Atomic Bomb』は3作目の担当でした。
── 『How to Dismantle an Atomic Bomb』のリリースは2004年11月22日ですが、どれぐらい前に「U2の新作が出るよ」と海外から連絡がきたんでしょうか?
高橋 まず発売日の11月22日ですが、当時、日本先行発売というのをあらゆるアーティストのアルバムでやっていて、この作品も日本先行発売で、日本盤は世界より少し早い11月17日リリースでした。
── 17日ってことは約1週間早いんですね。
高橋 今は海外アーティストのリリースは金曜日ですが、当時は月曜日だったんですよね。なので、その前の水曜日に日本盤が先行リリースされました。いつ頃その情報が来たかというのは、もうあまり覚えてないですけど、暑い時期だったなっていうのは記憶にあります。今回このお話もあるのでU2.comの当時のニュースのページを見ていったところ、9月7日にシングル「Vertigo」が出ると発表されていて、その前に「今スタジオに入っています」というニュースがぽつぽつと出ていました。「現在(アルバムを)制作中」ということは知られていたと思うんですけど、正式に情報が入って来たのはシングル「Vertigo」の発表の前ぐらいですかね。ちょっと定かではないですが……。
── 『How to Dismantle an Atomic Bomb』のアルバムの音源やリードシングル「Vertigo」を最初に聴いた時のことは覚えていますか?
高橋 あの頃はアルバムに先行してCDシングルやDVDシングルの日本盤を出していました。ある日海外からDVDシングルの内容確認用のVHSが届いたんです。で、会議室に入って、確認のためにVHSを再生機に入れてみたら「Vertigo」の映像が流れてきて、心の準備なしに“聴いてしまった”という感じです。
── その映像って、ミュージックビデオでしたか?
高橋 そのDVDシングルの映像はミュージックビデオではなくて、アルバムのDVD付きデラックス盤にも入っている、スタジオで撮られた映像でした。「これが“Vertigo”っていう曲なんだ……」って、思わず聴き入ってしまいましたね。
── 映像の確認をしようと思ったら、新曲がいきなり流れてきたんですね(笑)。楽曲の第一印象はいかがでした?
高橋 すごくロックで、嬉しかったです。
── アップテンポで、まさに先行シングルっていう感じですよね。で、その後に配信されたのが10月13日。配信開始とともにAppleの記者会見でシルエットが印象的なCMが初公開されましたが、「U2がiPodのCMになるよ」っていうのは事前に知らされてたんですか?
高橋 連絡は来ていたと思うんですけど、たまたまその辺りで海外で日本のテレビ取材があって私も帯同していました。アーティストの取材なのでマネジメントのスタッフもいるし、海外のレコード会社の人もいるし……その中でなんとなく「U2が出るCMが始まる」みたいな話があったのは覚えているのですが、正式にいつから流れるというところまでではなかったような気がします。
ダブリンでのテレビ取材とiPodのCM
── 今“取材”とおっしゃってましたけど、何の取材だったんですか?
高橋 地上波の情報番組の取材でした。バンドが2組に分かれて、テレビの方がインタビューをして、その後にU2が結成されたダブリンのマウント・テンプル・スクールや近所の公園を訪れました。そこはU2の幼馴染みでアーティストのギャヴィン・フライデイが案内してくれました。そしてスレイン・キャッスルにも。スレイン・キャッスルは他のアーティストも公演をしていますが、U2は前作『All That You Can’t Leave Behind』の「エレヴェイション・ツアー」で史上初の2回公演を行いました。ライブDVD にもなっています。『The Unforgettable Fire』のレコーディングをした場所としても知られています。
── どこかのホテルでインタビューだけで終わり……みたいな感じじゃなくて、U2の地元訪問みたいな感じだったんですね。
高橋 そういう取材をしたいとテレビからリクエストをいただいて、海外レーベルに交渉したところ関係者を通していろいろ話をつけてくれて、それらの場所も回ってきました。
── そのときの何かエピソードはありますか?
高橋 インタビューをしたのはハノーバー・キーのスタジオで、建物の外観が強烈でした。運河沿いにあって、ものすごい高い壁に鉄の扉がついていて、スタジオという感じがしない。もちろん音が外に漏れてはいけないということもあると思います。
── その取材の後にiPodのCMが放映されましたが、反響はいかがでしたか?
高橋 とにかく日本ではCMを見た人が多くて、今風に言えば「バズる」ってことかもしれないけど、どこでもCMの話題が出てましたね。それによって、やっぱり曲はヒットしましたし。あの当時、Apple、iPodは最先端だった。それとU2がパートナーを組んでいるということで、さすがリードしてるなと思いました。
── U2は基本的にCMなどに楽曲提供をしないアーティストですもんね。
高橋 そうですね。タイアップはしないし、新作アルバムを発売するときにコメント映像も出さないですね。ただ、(iPodのCM出演は)タイアップではなくて、Appleとのパートナーシップによる出演だったので、「これはタイアップではない」ということは、釘を刺されました。
── 普通の出演やタイアップではないということだったんですね。
高橋 赤と黒のU2 iPodという製品もありましたし。でも、それを皮切りにではないけど、「iPodのCMに出るとヒットに繋がるし、カッコイイ」ということになったと思うので、先陣を切っていきましたね。
アルバム・タイトルの意味
── あのシルエットのCMシリーズは人気でしたもんね。そして『How to Dismantle an Atomic Bomb』といえばアルバムのタイトル。“ディスマントル(意味:解体する)” なんて日本人はほとんど使わないし、“Atomic Bomb”は原子爆弾なので日本人としてはどうしても気になってしまいますが、このタイトルの意味は最初から知らされていたんですか?
高橋 最初は知らされませんでした。日本人としてはやっぱり気になりますよね。その後インタビューなどを読んでいくと、ボノが「“Atomic Bomb”は僕の父親のことだ」と発言していて。
── この“アトミック・ボム”とは、ボノの父親であると。
高橋 ボノとお父さんは、関係が複雑でいろいろあったそうです。お父さんは『How to Dismantle an Atomic Bomb』の前作の「エレヴェイション・ツアー」の途中に亡くなったのですが、(アルバムの制作中は)そのことを受け入れて、どう対応していくかを考えるような期間だったそうです。そのプロセスが解体ということのようです。
── アルバムは日本先行で発売されて、どれくらい売れたかなど覚えてらっしゃいますか?
高橋 通常盤CD、CD+DVD、CD+DVD+ブックの3形態だったのですが、あの頃はDVD付きアルバムもまだそんなにたくさん無かったと思いますし、ブック付きも、自分のそれまでの業務上では、あそこまで豪華なものは初めてでした。それで、この3形態がリリースされた発売日には、CDショップの開店に合わせて行って並んだという人もいました。数量限定なので日本盤はすぐに売り切れました。輸入盤はまだたくさんあったみたいですが。
── 豪華なブックとはどんな中身だったんですか?
高橋 ブックの中身はバンドメンバーが描いた絵や文章で、当時は翻訳を付けられるのか、部内でもいろいろ相談した結果、「これはこういうもの」として翻訳は付けないことにしました。
── なるほど、アートとして楽しんでもらいたい、と。
高橋 今回の20周年記念スーパー・デラックス・ボックスには“バンドによるイラストのプリント8枚”が入りますが、リリース当時の豪華ブックの中から取っているものがあります。あの中からバンドとして載せたいものとか、象徴的なものとかを入れているのではないかと思われます。そう言うと、「以前出ていたものじゃないか!」と言われてしまうかもしれませんが(笑)。
── いやいや、でもブックはもう市場に無いですからね(笑)。
高橋 20年前なので私も記憶が遠くて、今回改めて見たのですが、豪華ブックについての短い説明文が日本語解説書にあって、「片側から開くとfear(恐怖)の章、もう片側から開くとfaith(信念)の章となっており、恐怖と信念は真ん中のページ、World=世界で出会います」とありました。
── 本当に“アート作品”ですね。
高橋 そうですね。ブックの片側はロバート・オッペンハイマーが引用したバガヴァッド・ギーターの言葉、もう片側はマハトマ・ガンディーの言葉で始まり、「恐怖と信念が真ん中で出会います」というのは、アートですね。
アルバムの評判
── アルバムですが、どれぐらい売れたかというのは覚えてますか?
高橋 オリコンでは4位になりました。当時だけでなく、2002年のベスト盤もそうだったんですけど、必ずエミネムのアルバムと発売日が近くて、売上が同じくらいだったんです。そしてエミネムのほうが僅差で上でした。
── でも、かなり売れましたよね。CMの効果もあり……全体的にも内省的な感じではないというか、もうちょっとロックな感じで。
高橋 音はすごくロックですよね。「Vertigo」だけじゃなく、シャープでロックンロールな「All Because Of You」もあり、ボノが亡くなったお父さんに捧げた「Sometimes You Can’t Make It On Your Own」のようなミッドテンポの曲も素晴らしいです。2000年代初頭のU2は、『All That You Can’t Leave Behind』でもう一回4人のバンドサウンドのスタイルに戻って、90年代終わりのポップスが席巻する中でロックバンドとして存在するという意思をすごく出していたと思います。2000年代の頭にはガレージ・ロック・リバイバルのバンドも出てきて、それこそ「Vertigo」はザ・ハイヴスとかザ・ストロークスとかから影響を受けている説もありますね(笑)。
── アルバム自体はグラミー賞で主要2部門も獲りましたね。ずっと話題が続いていた感じですか?
高橋 「Vertigo」のインパクトは大きかったですし、翌年は欧米ツアーもあったので、話題は続いていたと思います。シングルが先行配信されて、「Vertigo」は年が明けたグラミー賞で3部門を受賞して、アルバムや他のシングル曲は選考期間の関係でその次の年のグラミーでした。『All That You Can’t Leave Behind』が7部門、『How to Dismantle an Atomic Bomb』が8部門受賞ですね。U2はこれまでグラミー賞を22回受賞していますが、あの頃のU2は今のテイラー・スウィフトみたいな感じで、ノミネート数も受賞数も多かったです。
── 本当、名実ともにトップアーティストですもんね。2006年2月にアルバムがグラミー賞主要2部門を受賞して、その年の年末に来日公演があったんですけど、予定では2006年4月に横浜の日産スタジアムで1公演やるつもりだったのが、なくなっちゃったんですよね。なくなった理由は何だったんですか?
高橋 これは日本だけのことではなく、オセアニア、日本、ハワイ公演の行程すべてが延期されました。
── それはしょうがないですが、日産スタジアムでも見たかったですね。
高橋 見たかったですね。年末だと寒そうですが(笑)。
久しぶりの来日公演
── その後に改めてさいたまスーパーアリーナ3公演が発表になって、全部ソールドアウトしたんですよね。11月29日、30日と12月4日の3公演でしたけど、ファンの客層など以前の来日公演と変わってたりしましたか?
高橋 その前の来日公演は1998年の東京ドーム公演で、私は観客として観に行ってたので、周りを見るというよりはステージを見ていたから、なんとも言えないですけど、2006年の来日公演はやはり会場も大きいので、幅広いファン層がいたと思います。
── 2006年のライブはどんな感じでしたか?
高橋 3公演あって、セットリストは毎日少しずつ違っていました。あのときのさいたまスーパーアリーナは密度や熱がすごく高いというか、うまく言えないんですけど、お客さんの想いもバンドの演奏も熱くて、ものすごいものが向こうから来て、こっちもすごい熱量で受け止めているみたいな熱気がありました。緊張感とも違う、迫ってくるものがあった。
── よく言う“一体感”ではなくても、押し合うみたいな感じがあった?
高橋 一体感は確かにそこにあったのですが、その“一体感”の熱が高いというか。
── 仲良しこよしの一体感じゃなくて、もうちょっと良い意味でケバケバしてるみたいな感じですよね。
高橋 ファンの方にとっては8年ぶりだし、初めて(ライブを)観る人もいたと思いますが、前作アルバムの「エレヴェイション・ツアー」では日本に来なかったので、久しぶりの来日公演への想いは強かったと思います。ライブ自体はもう当然良いわけです。もちろん海外でのライブのレポートやDVDとかで「こういうステージなんだ」と大体わかってるんですけど、実際それが目の前で展開されると見逃せないし聞き逃せない。まずLEDのカーテンみたいなものがステージに降りて来るんですよね。LEDの丸い電球が繋がっていて、私はそれを初めて見た時に「すだれだ!」と言って笑われたんですが(笑)。それが1曲目の「City of Blinding Lights」でキラキラすると、もう眩しすぎました。
── それはすごそうですね。
高橋 そうですね、U2のステージ・プロダクションはやはり世界一で、見たことがないものばかりなので。DVDになったのはアメリカツアーのアリーナ公演ですが、アメリカのアリーナでは円形の花道が設置されていて、ヨーロッパのスタジアム公演では花道が分かれてました。
── 馬の製鉄みたいな感じの形の花道だったと思います。
高橋 日本ではさいたまスーパーアリーナ公演でしたが、大きいスタジアムの方のセットを持ってきたんです。開幕のとき、花道の先からボノが公演地の国旗を持って登場して、ステージに向かっていくんですよ。新聞社や音楽誌などのカメラマンが大勢そこで待機していました。その演出自体は報道で知っていたけど、本当に日の丸を持って花道を歩いて行くのと見たときは感激しました。
伝説的な屋上でのMステ出演
── で、ツアーの合間、2公演目の翌日にテレビ朝日の『MUSIC STATION』に生出演してますね。何か覚えていますか?
高橋 アーティスト側のスタッフとクルーがものすごい数だったのと、夜の番組ですけど、ものすごく朝早くから動いてたのを覚えてます。
── いわゆる普通のスタジオじゃなくて、テレ朝社屋の屋上で演るっていう、なかなか見たことないことやってましたね。
高橋 屋上だけでも高いのに、そこにさらに高いステージを作っていて、リハは関係者だけでやりました。バンドは演奏する時だけ来ましたが、雨も降らずに良かったです。
── U2は初出演ですもんね。番組側も、トップ・オブ・トップのアーティストが久しぶりに日本公演に来て、そこで生演奏するわけだから、やっぱり特別なことをやりたいみたいな雰囲気だったんでしょうか?
高橋 もちろんそうだったと思います。アーティスト側も普通の出演ではなくて、スペシャルな場所を選んでほしいということで決まったんでしょうね。U2は屋上パフォーマンスが好きなので。
── そうですよね。(ザ・ビートルズの)ルーフトップ・コンサートを真似たような部分もあって。
高橋 ダブリンのホテルの屋上や、BBCの高いところでもやっていたので、そういうこともあってそこに落ち着いたのではないかと思います。
── 大変だったことは覚えてますか? オンエアまではスムーズに行った感じですか?
高橋 問題はそんなに無かったと思うんですけど、とにかく人が多かったんです。バンドも常に4人一緒なわけじゃなくて、ボノは当日グランドハイアット東京でイベントに出席していたので番組のオープニングにはそこで出演、メンバーはテレビ局で待機、と分かれていて、そこの連絡などは大変だったと思います。
── バンド側は何か言ってました?
高橋 放送後楽屋への移動中にボノが「かき回すようなことをしたかった」と言ったのを思い出しました。2曲披露して1曲はもちろん「Vertigo」、もう1曲は2006年11月22日に発売されたベスト盤『U218 Singles』に2曲収録された新曲のうち「Window in the Skies」で、世界でテレビ初披露でした。「Window in the Skies」はライブでも日本公演が初披露でした。この曲のMVは音楽史上で重要だったりU2が影響を受けた新旧アーティストの映像で作られていて、U2はライブの観客として登場してます。
── その時の来日では、他にプロモーションってしたんですか?
高橋 いえ、『MUSIC STATION』1つだけです。
── いわゆるコメント動画も無かったんですか。
高橋 無かったです。その次の来日公演も一切しませんでした。
── そういう、なんていうんですかね。ある意味筋の通ったロックバンドなんですよね。レコード会社としては「もっといろいろ稼働してくれ!」って思うと思いますが。
高橋 ですね(笑)。あと、『MUSIC STATION』の中で「日本の皆さんにメッセージを」と振られた時に、ジ・エッジが「Be Yourself」という簡潔でいいメッセージを贈っていました。“自分らしく”。あれは忘れられないです。
20周年盤の魅力
── それでは、今回リリースされる『How to Dismantle an Atomic Bomb』20周年盤についてお伺いしたいのですが、これは何がすごいのでしょうか?
高橋 2020年に発売された『All That You Can’t Leave Behind』20周年記念盤のボックスとディスクの枚数(5CD)も同じで、ボックスのサイズもほぼ同じで、アントン・コービンの写真集も入っているから、大体踏襲しているとは思うんですけど、今回の方が “未発表曲”つまり“新曲”の数が多いです。そのディスクを聴くと、「Vertigo」に代表されるロック色が強い方向性の曲が多かったのがわかるし、アルバム・ヴァージョンへの過程がわかる曲もあるので、すごく面白いなと思いました。ジ・エッジ作の「『ザ・バットマン』のテーマ」もレアです。
── ディスク2『How To Re-Assemble An Atomic Bomb』は、メンバーたちも「シャドウ・アルバム」と呼んでいますね。
高橋 「“裏”アルバム」ですね。
── あえてそう呼ぶぐらい、今回はいつもより気合が感じられますよね。
高橋 そうですね。それに改めて見て、この赤と黒のアートワークがすごくカッコイイと思います。今回リリースされる商品は音源だけですが、当時のアーカイブから厳選したものを収録しているということだから、本編と共に興味深く聴けると思います。
── 日本のファンの皆さんは、このアルバムを聞いていただいて、いつかはわかりませんが、日本にもU2がまた戻ってきてほしいですね。
高橋 そうですね。
── ラリーが療養中ですが。
高橋 そうですね、早く回復してほしいですね。
── ね。まあまあ、スフィアでのライブは大成功して、なかなかあれは日本では実現できないと思いますけど、またの来日公演か、ニューアルバムかをお待ちくださいということで、今回はありがとうございました。
U2『How To Dismantle An Atomic Bomb』(20th Anniversary Edition)
2024年11月22日発売
5CDスーパー・デラックス / 1CD
8LPスーパー・デラックス / 2LP限定 / 2LP / カセット