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ジェネシスが全米チャートに初登場した『Selling England By The Pound /月影の騎士』
初期のジェネシスは絶え間なくUKをツアーしており、ライヴの本数は1970年と1971年だけでも合計300本近くに及び、そのコンサートとアルバムの両方でファンを増やしていった。
アメリカでは1972年末に初めてコンサートを行ったものの、彼らがアメリカのヒット・チャートに初めてその作品を送り込んだのは、それからおよそ1年後のことだった。1973年10月12日に発売された『Selling England By The Pound(月影の騎士)』がそのレコードで、同作は12月15日にビルボード誌のアルバム・チャートに初めてランクインしている。
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ジェネシスは1970年にアルバム『Trespass(侵入)』を発表したが、このアルバムはイギリスでもチャートには入らずじまいだった。翌年にリリースされた『Nursery Cryme(怪奇骨董音楽箱)』もまた、1971年当時はチャート入りを果たすには至らず、グループが知名度を高めた1974年にようやくヒット・チャートにエントリーしている。
しかしながら『Nursery Cryme』の次作に当たる『Foxtrot』はイギリスのアルバム・チャートで最高位12位をマークするヒットを記録し、続く『Genesis Live』は彼らにとって、イギリスで初めてトップ10入りを果たしたアルバムになっている(最高9位)。
このヒットした『Genesis Live』に次ぐニュー・アルバムとなった『Selling England By The Pound』には、UKではかなりの期待が寄せられていた。そして発表されたアルバムはそれを裏切らない内容になっており、チャートでは初登場3位を記録。その週のチャートでこのアルバムよりも上の順位にあったのは、スレイドの『Sladest』とギルバート・オサリヴァンの『I’m A Writer Not A Fighter』。『Selling England By The Pound』はそれから4週間連続でトップ10に留まり、チャート圏内に留まった期間は、実に21週間に及んだ。
一方、このアルバムのアメリカ盤はより地味な展開に甘んじたものの、ジェネシスはメディアからの後押しを受けていた。特にFMのロック・ラジオ専門局(ミズーリ州セントルイスのKSHE、コネチカット州ハートフォードのWHCN、ジョージア州アトランタのWRAS、ダラスのKAFMなど) は、バンドの熱心なサポーターとなった。またビルボード誌にはこんなレビュー記事も掲載された。
「このUKの人気バンドが新レーベルから初めてリリースしたアルバムは、彼らの素敵なヴォーカルと歌詞の世界のショーケースとなっている。そこでは、英国人の日常生活が描かれている。興味深いインストゥルメンタル”Firth Of Fifth”では、素敵なピアノの演奏とオルガンのクレッシェンド、さざ波のようなギターの演奏がハイライトとなっている」
こうした支援を追い風に、『Selling England By The Pound』はアメリカのアルバム・チャートで初登場167位を記録。そして最高位70位をマークしている。1973年の春にアメリカでコンサート・ツアーをおこなったジェネシスは、ニュー・アルバムを宣伝するために、その後、再びアメリカに戻り、大学や劇場をまわるツアーを行った。ロサンゼルスではザ・ロキシーで1晩2公演の日程で合計6本のライヴをこなしている。
Written By Paul Sexton