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N.W.Aのイージー・イーの故郷コンプトンに彼の功績を称える“イージー・ストリート”が誕生
米カリフォルニア州コンプトンのアラメダ通りに面し、ゲートウェイ・タウン・センター・ショッピングプラザへと続くオート・ドライブ・サウスの100ブロックが、伝説的ヒップホップ・グループ、N.W.A.の故エリック・“イージー・イー”・ライトの功績を称え、“イージー・ストリート/Eazy Street”に改名されることが発表された。
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ロサンゼルス・タイムズ紙によると、同ストリートの改名は、今年9月にコンプトン市議会で全会一致で可決されたもので、現地時間11月22日には、この改名の記念すべき瞬間を祝うブロックパーティが開催され、イージー・イーの子供たちや彼のかつてのコラボレーターたちが出演し、パフォーマンスなどが行われる予定だという。
イージー・イーの娘エリカ・ライトは同紙の取材に次のようにコメントしている。
「父は故郷を愛していました。何も彼をコンプトンから引き離すことはできませんでした。何も彼の両親をコンプトンから引き離すことはできませんでした。これは永遠に私の人生のハイライトとなるでしょう」
また、イージー・イーの息子であるエリック・ダーネル・ライト・ジュニアはこう付け加えた。
「このストリートの命名は、僕たちの父親がこの先何世代にもわたって記憶され、称えられるレガシーを持つことを保証する、承認と記念のシンボルとなるでしょう」
イージー・イーは、地元コンプトンに、パートナーであり音楽ビジネスのベテランでもあったジェリー・ヘラーと共に自身のレコード・レーベル、“ルースレス・レコード(Ruthless Records)”を創設し、大成功を収めた。彼は、ラッパーのThe D.O.Cにパフォーミングの才能を見出したほか、アイス・キューブやドクター・ドレーをスカウトし、同レーベル所属アーティストのために曲を書かせた。彼らが共作した「Boyz-N-the Hood」がレーベルの契約者であるHBOに却下されると、イージー・イー、アイス・キューブ、ドクター・ドレーはN.W.Aを結成し、自らレコーディングすることを決意する。
1987年にリリースされた彼らのファースト・アルバム『N.W.A and the Posse』は不発に終わったが、グループのラインナップと楽曲の荒削りな題材を微調整して臨んだ1988年の『Straight Outta Compton』はN.W.A.をスーパースターへと押し上げた。また、イージー・イーは同年、最初にして唯一のソロ・アルバム『Eazy-Duz-It』を発表している。
Written By Will Schube
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