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デヴィッド・クロスビーが81歳で逝去。その功績を辿る
バーズやクロスビー、スティルス、ナッシュ(後のクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)の創設メンバーであり、シンガーソングライターでギタリストのデヴィッド・クロスビー(David Crosby)が2023年1月18日に81歳で逝去した。
彼の妻はVarietyに次のような声明を発表している。
「私たちの愛するデヴィッド・(クロズ)クロスビーが長い闘病生活の末他界し、深い悲しみに包まれています。彼は、妻でありソウルメイトのジャンと息子のジャンゴの愛に囲まれて過ごしていました。彼はもうこの世にいませんが、彼の人間性と優しい魂は、これからも私たちを導き、鼓舞してくれることでしょう。彼のレガシーは、その伝説的な音楽を通して生き続けるでしょう。平和、愛、そして調和を、デヴィッドを知るすべての人々と彼が感動をもたらした人々に。彼のことが心から恋しくなります。今、この時期におきましては、私たちが喪に服し、この深い喪失感に向き合うために、プライバシーをお守りくださいますよう謹んでお願い申し上げます。皆さんの愛と祈りに感謝します」
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その生涯
デヴィッド・クロスビーは、60年代のLAにおけるウェストコースト・ロックの聖地、ローレル・キャニオンが輩出したフォーク・ロックのパイオニアであり、1964年から67年まで在籍したバーズでは、そのサブジャンルの確立に貢献した。
1975年4月19日に掲載されたニュー・ミュージカル・エクスプレス誌のインタビューの中で、彼はバーズの解散について次のように語っていた。
「ロジャー(・マッギン)とクリス(・ヒルマン)が2台のポルシェでやってきてこう言ったんだ。“お前はクレイジーだし、こんなエゴイストと一緒に仕事ができない”ってね。俺は歌が下手だし、ひどい曲を作るし、ひどい音も出す。俺がいない方がずっと上手くやれる、と言われたんだ。的を得ている部分はある」
1968年、バーズ解散後に親しくなったバッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルス、ホリーズのグラハム・ナッシュと結成したクロスビー、スティルス、ナッシュが1969年に発表したセルフタイトルのデビュー作はマルチプラチナ・セールスを記録。
同年、バンドは、当時ソロ活動をしていたニール・ヤングを迎え入れ、1970年にアルバム『Deja Vu』ではさらなる商業的成功を収めたが、バンドは当初から不安定な状態だった。
薬物の問題に苦しんでいたデヴィッド・クロスビーは、その後バンドを脱退。1971年に音楽活動を再開した彼が発表した初のソロ・アルバム『If I Could Only Remember My Name』には、グラハム・ナッシュ、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、ジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッド、サンタナら豪華メンバーが参加し、全米チャート最高12位を記録している。
デヴィッド・クロスビーはその後も1989年の『Oh Yes I Can』、1993年の『Thousand Roads』といったソロ作品に加え、2004年にはグラハム・ナッシュとのデュオ・アルバム『Crosby ✧ Nash』などを発表している。
Written By Sam Armstrong
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