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バックマン・ターナー・オーバードライブのドラマー、ロビー・バックマン逝去。その功績を辿る
バックマン・ターナー・オーバードライブ(Bachman-Turner Overdrive)のドラマー、ロビー・バックマン(Robbie Bachman)が2023年1月12日に69歳で亡くなった。この訃報は、彼の弟で元バンドメイトのランディ・バックマンによって発表された。
「また悲しい旅立ちです。BTOを支えたビートである弟のロビーが母と父と弟のゲイリーが待っている天国に行きました。ジェフ・ベックにはドラマーが必要なのかもしれません。彼は僕らのロックンロール・マシンに不可欠な人物で、一緒に世界をロックしました」
バックマン・ターナー・オーバードライブは、世界的な成功を収め、現象となったバンドの一つだ。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンやロンドンのハマースミス・オデオン、ハンブルグのコングレス・セントラム、コペンハーゲンのファルコナー・セントレットなど、世界最大のアリーナでヘッドライナーを務めた。
バックマン・ターナー・オーバードライブの1974年のラインナップであるランディ、ロビー、ボーカルのフレッド・ターナー、ギターのブレア・ソーントンは、2014年にカナダ音楽の殿堂入りを果たしている。
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その生涯とバンドの歴史
バックマン兄弟は、カナダのウィニペグの自宅で一緒に演奏して育ち、自然にコラボレーションをするようになった。1971年、ロビー・バックマンはベーシストのフレッド・ターナーと共にブレイブ・ベルトというバンドに参加するよう兄のランディから誘われ、その1年後に3人目のバックマンである弟のティムがバンドに加入した。
2枚のアルバムが不発に終わり、ブレイブ・ベルトは所属レーベルから契約を切られた。それでも、バンドは新天地を探し求め、マネージメントの提案でバンド名をバックマン・ターナー・オーバードライブと名乗るようになった。
バンドの中身は同じだが、新しい名前を持ったバックマン・ターナー・オーバードライブは、1973年にセルフ・タイトルのデビュー作『Bachman-Turner Overdrive』をリリース。このデビュー・アルバムは商業的な成功は得られなかったが、同年末に2枚目のLP『Bachman-Turner Overdrive II』を発売した。このアルバムにはバンド初のトップ40入りで全米チャート23位となったシングル「Let It Ride」が収録。そしてこのアルバムからのセカンド・シングル「Takin’ Care of Business」は、バックマン・ターナー・オーバードライブをスターダムにのし上げることになり、アルバムは全米4位となった。
彼らのヒットは続き、1974年のサード・アルバム『Not Fragile』は全米1位を獲得。「You Ain’t Seen Nothing Yet」は全米シングルチャート1位の大ヒットとなり、続くシングル「Roll On Down the Highway」でもバンドはヒットを記録。後者の曲はロビーが共作し、彼が作曲に携わった数少ない楽曲のひとつである。
ロビー・バックマンは2014年のトロント・スター紙のインタビューで、バンドの成功をこう振り返った。
「俺たちは誰に対しても、君は間違っているとか、それは悪いことだとか、こんなことはするなとか言わなかった。言っていたのは、楽しい時間を過ごせ、楽しい音楽をやれということだったよ。ベトナム戦争や政治的な問題が起こっていた70年代、カナダではトルドーやリチャード・ニクソンなどがいてて、俺たちはそういうことにはうんざりしていたんだ」
解散と復活
しかし70年代が進むにつれ、バックマン・ターナー・オーバードライブの人気は徐々に低迷していった。メンバーは音楽の方向性について議論を交わすようになり、1977年にはランディ・バックマンがグループを脱退した。
バンドは、ランディの後任としてジム・クレンチを採用し、オリジナル・ボーカリスト抜きで活動を続けた。バンドは新しいシンガーと共に、1978年の『Street Action』と1979年の『Rock ‘n’ Roll Nights』の2枚のアルバムをリリースしたが、どちらも大きな成功をおさめることはなかった。
バックマン・ターナー・オーバードライブは1980年に解散したが、1983年にランディをフロントマンに迎えて再結成。しかし、ロビーはビジネスと商標に関する意見の相違を理由に、再結成に参加しないことを選択した。そのため、1984年にリリースされた『Bachman-Turner Overdrive』は、ロビーの演奏が収録されていないバンド唯一のスタジオ・アルバムとなった。
ロビーは1988年にバックマン・ターナー・オーバードライブに復帰し、2005年に再び解散するまでグループでの活動を続けた。その後、ランディとターナーは2009年に再びバンドを復活させたが、訴訟問題が続いていたため、ロビーはグループへ再加入することはなかった。2014年にバックマン・ターナー・オーバードライブがカナダ音楽の殿堂入りを果たした際、彼は再びクラシックなラインナップでステージに立っていた。
Written By Sam Armstrong