Classical Features
【後編】サー・ゲオルグ・ショルティによる《ニーベルングの指環》の新リマスター盤を徹底解説。デジタルメディア評論家、麻倉怜士氏が聞くリマスター秘話公開。
1958年、当時デッカ・レーベルのプロデューサーだったジョン・カルショーが考案した、指揮者サー・ゲオルグ・ショルティとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による「ワーグナー:楽劇《ニーベルングの指環》」の史上初の全曲スタジオ録音。総演奏時間が15時間を超えるこの録音はデッカ・レーベルの総力を結集したクラシック音楽史上最高の作品として今もなお尊ばれている。
2022年、ショルティの生誕110周年・没後25周年を記念してこの歴史的録音の新たなリマスター盤が発表された。このリリースに際して、デジタルメディア評論家、麻倉怜士氏とこのリマスターの制作を手掛けたデッカ・クラシックス・レーベル・ディレクター、ドミニク・ファイフ、そしてエンジニアのフィリップ・サイニーとの対談が実現!今回のリマスター盤で使用した1958年―1965年録音のオリジナル・ステレオ・マスターテープの編集修理や、24bit/192kHzの高解像度で行ったマスタリングについて、リマスタリング秘話を語ってもらった。(前編はこちら)
SACDの音の秘密
麻倉:今回のSACDの音質にはたいへん感動しました。音場の立体感や、音の切れ味、質感が’58年の録音から完全に蘇ったように聴きました。きらびやかで、音場がそこにあるようで、熱い空気が渦巻いています。2chなのに、すごく奥行きがあります。この音を得るのに、どんな魔法の粉を降りかけたのでしょうか?
サイニー:魔法というのは、カッティング・エンジニアが何をしたのかを勉強したことですよ。今回、オリジナルのアナログテープまで戻るということは、いったいどういう意味を持つのかを考えました。このリマスタリングでは、オリジナルの音に、徹底的に近づこうと思いました。
そこで何かヒントを得るために、カルショーが書いた本『Ring Resounding』(ジョン・カルショー著, 山崎浩太郎訳『ニーベルングの指環―リング・リザウンディング』, 2007.)を読んでみました。すると、彼は最初の章で、カッティング・エンジニアが音を根本的に変えてしまったことに感謝しているんです。カッティング・エンジニアが制作したLPの音は、ジョン・カルショー、ゴードン・パリー、ジミー・ロックがレコーディング・セッションで聴いていた音よりも、ずっと良いと気づかせてくれたと、書いてありました。
そこで私は、カッティング・エンジニアは何をしたのだろうと考え、調べてみました。オリジナルの《指環》録音に関わった存命中のカッティング・エンジニア、そして、その後の世代の方にも会いました。デッカの元エンジニアのスタン・グドールやジョン・ダンクリーと今でも連絡を取り合っていて、彼らがカッティング・ルームで何をしていたのかについて、いくつかのアイデアを教えてくれたんです。どのようなテクニックを使っていたか、も。 それで、このリマスタリングの目的は、非常に正確なトランスファーを作るよりも、ジョン・カルショーにとってどのような音であったかという方向に持っていくべきだと思い知りました。
ファイフ:プロデューサーのジョン・カルショーは、自身の回想録『Ring Resounding』の中で、マスターテープをLPに移すことの難しさについて述べています。「職人の技と献身がそれを可能にした」と、彼は書いています。LPレコードをプレスするためのラッカー盤をカットするのは、それ自体が芸術です。マスターテープの音をできるだけ忠実に再現するために、プロデューサーやエンジニアがその場に詰めて、カッティングを行うのです。
そのため、今回の2022年版のリマスタリングでは、マスターテープとオリジナルのLPプレスの両方により、彼らが求める音を明確に把握することができました。しかし、当時のスピーカーは今日のようにダイナミックレンジが広く、クリアな音質ではなかったことを忘れてはなりません。私たちは、彼らが聴くことができなかったオリジナルの録音の真実を、より多く聴くことができるのです。
ジョン・カルショーとゴードン・パリーがやったこと
ファイフ:私たちは、ジョン・カルショーとゴードン・パリーの頭の中に入り込んで、彼らがどんな音を求めていたのかを探ろうとしました。音楽と演出で何をしようとしていたのか、彼が言うところの「心の中の劇場」をどのように作り出そうとしていたのか。彼らは録音の時にステージ上に網目のように線を引いて、動きの指示を出していました。
それを解く大きなヒントは、カルショーの編集用オリジナルスコアにありました。彼はボーカルスコアに編集をマークしていました。それを拝見でき、彼がどんな効果音を探していたのか、歌手の位置はどうだったのか、などの多くの情報を知ることができました。加えて、私たちは多くのオリジナル資料を入手しました。それが、私たちが真実に辿り着くまでの道しるべとなったのです。その意味で、私たちはとても幸運でした。
60年代に黄金のカッティング・エンジニアだったスタン・グドールはご存命なので、彼と話をすることができたし、セッションでどのマイクを使ったのかについての議論もできました。残念ながら、ゴードン・ペリーのセッション・ノートや、技術記録は紛失していました。これは、すべてのバランス・エンジニアがレコーディングの後に書き出す文書で、どのように作られたか、どのようなマイクを使用したかを記録したものでした。でも、先輩エンジニアに話を聞いたおかげで、当時何が使われていたのか、正しい方向性を見出すことができ、とても有意義でした。
私たちがオリジナル・レコーディングを調査しているときに発見した興味深いことのひとつは、その時期が「1958年」だったことです。デッカ・サウンドの基本とも言える、デッカ・ツリー(指揮者の上にある左、右、センターのマイクと左右のアウトリガーの組み合わせ)は、開発されてから4年目で、まだ実験中でした。ステレオも初期の段階でした。
ポイントは指向性です。 当時、一般には無指向性マイク、NeumannM50が使われていましたが、カルショーの片腕のエンジニア、ゴードン・パリーは「ディテールと輝きを求めるなら、無指向性では無理だ」と気付き、単一指向性マイクロホンを使うことにしました。それは「カーディオイド(心臓型)・マイクロホン」と言います。指向性パターンが心臓の形に似ていることから、そう呼ばれており、正面の音だけを強く拾います。
デッカ・ツリーに、単一指向性のNeumann M56を3本、左右のアウトリガーには広角単一指向性M49を配置しました。ジョージ・ロンドン、エーベルハルト・ヴェヒター、キルステン・フラグスタート……などの名歌手の声を収録するヴォーカル用マイクはM49でした。彼らはオーケストラのバランスを崩すことなく声楽音量をコントロールするよう、カーディオイドパターンを細かく調整しました。
こうした努力の結果、音響ステージを動き回る声部の透明性とともに、直感的なオーケストラのサウンドが得られました。天才ペリーは、次ぎに述べるウィーンのゾフィエンザールの自然な輝きと、ピンポイントの正確な音場を結びつけることに成功したのです。特にヘッドフォンで聴くと、オーケストラのすべてのセクションがどこに座っているのか、ほとんど図が描けるほど、たいへんクリアです。金管楽器、ティンパニ、ダブルベースなどの位置関係も手に取るようにわかります。
《指環》における彼の重要性は、カルショーがこの録音についての著書『Ring Resounding』をたった二人に捧げていることからも明らかです。それもパリー、ショルティの順なのです。
ゾフィエンザールの音響
ファイフ:1826年、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の母、バイエルンのゾフイ公女にちなんでウィーンのマルクス・エルガッセに室内温水プール「ゾフィエンバッド」がオープンしました。1849年には「ゾフィエンザール」となり、コンサートとダンスホールとして生まれ変わりました。ヨハン・シュトラウス1世がオープニングの舞踏会を指揮。シュトラウスのワルツの数々はここで初めて聴かれたのです。
ゾフィエンザールはデッカのウィーンにおける専用スタジオとして、1956年から1980年代半ばまで、より華やかなムジークフェラインを差し置いて、ロンドンのキングスウェイ・ホールやアビー・ロード、ニューヨークの30番街にあるコロンビアスタジオなどと同じ、象徴的な録音会場でありました。1980年代半ばにコンツェルトハウスに移りました。
2001年8月に火災が発生し、メインホールと周囲の部屋のほとんどを焼失してしまいました。その後、ホテル、アパートメント、オフィスとして再開発され、2013年12月に再オープンしました。元のメインホール(デッカの《指環》の録音スタジオだった)は、部分的に元のように再建されましたが、大部分は見栄えです。
とてもユニークなホールでした。もともと水泳用の浴場だったので、プールを空にして、その上に床を張ったようなものです。そうすると、チェロの内部と同じような効果が生まれて、音が共鳴します。だから、低音弦から素晴らしい音の深みが出るんです。ゾフィエンザールは最初からこのようなアコースティックな性質を持っていたのです。ウィーンフィルやビルギット・ニルソンと同様にこの録音の重要な要素となっていますね。
フィリップと私は、2016年にこのホールを訪れました。元のホールの形と寸法を把握することはできましたが、それ以外はあまりにも変わってしまっていて、音響を正確に評価できませんでした。でもありがたいことに、そこで働いていた多くのプロデューサーやエンジニアがまだ生きていて、ホールの音響特性を詳細に説明いただくことができました。ブックレットのクレジットの中に、その方々の名前が記されています。
サイニー:私は89年にデッカに入社しました。当時でもデッカはホールにこだわり、サンフランシスコやクリーヴランド、そしてシャルル・デュトワのためにサン・ユースタッシュで、教会を解体し、すべての客席を取り払っていました。それには巨額の資金が必要でしたがそれは、音をちゃんと出すためのこだわりだったんです。もちろん、マイクや機材、エンジニアも大きな役割を担っています。でも、会場も非常に大きな役割を担っているんです。ゾフィエンザールはその代表的なケースですね。
Dolby Atmosをどのように制作するか。
麻倉:さきほど、ドミニクさんはDolby Atmosの登場が、今回のリマスタリングのきっかけのひとつになったとおっしゃいました、Dolby Atmosバージョンについて教えてください。
ファイフ:『Ring Resounding』に、とても興味深い章があります。1967年に書かれたのですが、「information avalanche」と呼ばれるものの到来を予言しているのです。通信やネットワークで世界が覆われ、今でいうDVDやブルーレイのようなメディアについても触れています。彼は明らかに、未来を予言した人でした。
この新しいリマスターのDolby Atmosは当時、彼らが絶対に手に入れたかったものだと思います。歌手がステージを動き回るというイリュージョンと、それに伴う音響効果、金床や馬の音など、ワーグナーが楽譜に記したさまざまな指示が実行されています。もし彼らが今日Dolby Atmosを使用していたら、これらの音と音場はさらに素晴らしいものになったでしょうし、私たちが2022年に向けて試みたことに、彼らがとても満足することは間違いありません。
とはいえ、もともと2チャンネルしかありません。ではいかに、そこからマルチチャンネルのDolby Atmosを制作するか。それには、正しいやり方が必要です。Dolby Atmosは、上方とサラウンドに音響が加わりますから、どんな音を加えるべきかを明確にしなければいけません。現代ではマルチトラック録音が当たり前で、上方のアンビエントはその中から、作成できます。でもユニバーサルのアーカイブに問い合わせたところ、マルチトラックテープはなく、唯一、ステレオテープのみでした。
でもそれは、とりもなおさずカルショーとパリーが承認した最終ミックスなのです。だから、それを基に、Dolby Atmosのサラウンドとアンビエントをつくるのは、正しい方向でした。基本は彼らのミックスのままです。私たちがしたことは、ゾフィエンザールの音響のある種の没入感を与えることだけです。それは私たちがゾフィエンザールのアンビエントとみなすものです。まるでホールの奥に入り込んだかのように、壁から反射した音が聞こえてくるようにしました。
1950年代、1960年代の素晴らしいデッカ・チームの作品を聴いて欲しい
麻倉:たいへん興味深い話をありがとうございました。最後に日本のファンへのメッセージをお願いします。ショルティの《指環》は歴史的なコンテンツなので、オリジナルテープからのSACDには、日本のファンはとても歓迎すると思います。当時でも、ここまでの高音質で聴けた人はいないと思います。マスターテープからコピーを作って、それをもとに各国でマスタリング、プレスされていたわけですから。元々、音質で高い評価を得ているものを、オリジナルテープからハイレゾを経てSACD化したところが、たいへん素晴らしいポイントです。
ファイフ:1950年代、1960年代の素晴らしいデッカ・チームの作品を生かし続けるのが、たいへん重要なことです。信じられないようなワーグナーの偉大な声楽家たちが揃い、未来のどの時代においても、あのような質の高い歌声を再び聴くことができるとは想像し難い。それに1950年代のウィーンフィルは、まだとても特別な響きをもっていたんです。オーケストラ、レコード会社、アーティスト、歌手による、完全に偶然的な集合なのです。そして、65年後の今、私たちはまだこの話をしている。65年後もフィリップと私の作ったレコードのことをみんなが話してくれたら、とても幸せですね。
サイニー:これまでのSACDのリリースでは、レコード会社はおそらくダイナミックレンジを拡張することに、少し興味を持ちすぎていたように思います。私たちは、もしジョン・カルショーが今、一緒にいたら、彼自身がやっていただろうと思うような方法で、この作品を表現しました。日本の音楽ファンがそれを評価してくれることを願っています。
麻倉:《指環》も素晴らしいですが、お二人のお話もとても素晴らしかったです。たいへんありがとうございました。
第1作目《ラインの黄金》と第2作目《ヴァルキューレ》の国内盤は2023年1月11日に発売。第3作目《ジークフリート》は3月31日、《神々の黄昏》(2023年5月)順次リリースされる予定。
Written By 麻倉怜士
■対談者プロフィール
麻倉怜士 あさくられいじ
オーディオ・ビジュアル/音楽評論家。UAレコード合同会社主宰。日本経済新聞社、プレジデント社(雑誌「プレジデント」副編集長)を経て、独立。津田塾大学では2004年以来、音楽理論、音楽史を教えている。2015年から早稲田大学エクステンションカレッジ講師(音楽)。HIVI、モーストリー・クラシック、PEN、ゲットナビなどの雑誌に音楽、映像、メディア技術に関する記事多数執筆。音楽専門局「ミュージック・バード」では、2つレギュラー番組を持つ。ネットではアスキーネット「麻倉怜士のハイレゾ真剣勝負」、AVウォッチ「麻倉怜士の大閻魔帳」を連載。CD、Blu-ray Discのライナーノーツも多い。
ドミニク・ファイフ(プロデューサー)
2002年に録音プロデューサーとしてデッカ・クラシックスに入社、2020年1月からレーベル・ディレクターに就任。2003年から指揮者、小澤征爾とサイトウ・キネン・オーケストラのプロデューサーを務め、2015年グラミー賞最優秀オペラ賞(『ラヴェル:歌劇《こどもと魔法》』)、2016年度 第54回「レコード・アカデミー賞」 オペラ部門で大賞を受賞(『バルトーク:歌劇《青ひげ公の城》』)。また、ファイフは17年間、故ネルソン・フレイレのプロデューサーも務め、2013年にはラテン・グラミー賞の最優秀クラシック・アルバム(『ブラジレイロ~ヴィラ=ロボスと仲間たち』)を受賞。2018年にはクラシックのプロデューサーとして初めてロンドンのMBW A&R AwardsでA&R of the Yearの受賞を果たす。
フィリップ・サイニー(エンジニア)
1989年にデッカに入社し、ジミー・ロック、スタン・グドール、ジョン・ダンカーリーといったデッカの伝説的なエンジニアの下で働く。1996年にバランス・エンジニアとなり、シカゴのサー・ゲオルク・ショルティ、モントリオールのシャルル・デュトワ、日本の小澤征爾、ライプツィヒとミラノのリッカルド・シャイー、ウラディーミル・アシュケナージやチェチーリア・バルトリなど著名なデッカ・アーティストのエンジニアを務める。2009年からはフリーランスとして新録音とリマスタリングの両方で功績を残しており、1997年と2012年の《指環》のトランスファーもそのひとつである。
■リリース情報
『ワーグナー:楽劇《ジークフリート』
2023 年 3 月 31 日発売
CD
『ワーグナー:楽劇《ヴァルキューレ》』
2023年1月11日発売
CD / iTunes /Amazon Music / Apple Music / Spotify
『ワーグナー:楽劇《ラインの黄金》』
2023年1月11日発売
CD / iTunes /Amazon Music / Apple Music
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:サー・ゲオルグ・ショルティ
▽今後の発売予定
2023 年 5 月発売予定 楽劇《神々の黄昏》
※発売日・商品番号・価格等詳細は決まり次第ご案内いたします。