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スタックス・レコードの共同創設者、ジム・スチュワートが92歳で逝去。その功績を辿る

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姉のエステル・アクストンとジム・スチュワート. Photo: Charlie Gillett Collection/Redferns

スタックス・レコードの共同創設者であるジム・スチュワート(Jim Stewart)が、2022年12月5日、92歳で逝去した。ジム・スチュワートは、スタックス・レコードからソウル界の著名アーティストたちを輩出しながら世界的人気レーベルへの道を切り開き、その指揮を執った。

彼の功績は、2002年にロックの殿堂入りとして讃えられており、殿堂入りセレモニーには、彼の代理人として、スタックス・レコードが誇る最も有名な2つのグループ、ブッカー・T&ザ・MG’sのスティーヴ・クロッパーとサム&デイヴのサム・ムーアが登壇していた。(以下の映像はブッカー・T&ザ・MGが1992年に殿堂入りした際の、ジム・スチュワートによる紹介スピーチ)

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追悼の言葉

スタックスが生んだ伝説的ヒット・ソングライターであるデヴィッド・ポーターは、自身のFacebookに、ソウル界の偉大なアーティストたちと並んで自分の名前が刻まれているスタックス・アメリカンソウル博物館の広告を載せたバスの写真を投稿し、こう追悼を捧げている。

「ワオ!もし、この男、ジム・スチュワートがいなければ、メンフィスの貧しい住宅地に育った子供(自分)の写真がメンフィスを走るバスに載ることはなかったでしょう。STAXのSTはJIM STEWARTのものです。私は彼と彼との思い出を愛し、感謝しています。アメリカン・ソウル・ミュージックの親愛なる恩人よ、安らかにお眠りください」

スタックス・アメリカンソウル博物館の公式声明には次のように記されている。

「スタックス・アメリカンソウル博物館は、深い悲しみと共に、スタックス・レコードの創設者であるジム・スチュワートが本日逝去したことをお知らせします。スチュワート氏は家族に囲まれがら安らかに息を引き取りました。彼の死は、ソウル・ミュージック界の偉大なパイオニアの一人として、またメンフィス・サウンドの立役者として、世界中の何百万人もの音楽ファンから惜しまれることでしょう。享年92歳でした」

 

その生涯

1930年7月29日、テネシー州ミドルトンの小さな農場で生まれたジム・スチュワートは18歳でメンフィス州立大学(当時)に入学するためにメンフィスへと移住し、1957年にサテライト・レコードを設立。

翌年、エヴェレット・アクストンと結婚して銀行で働いていたジムの姉であるエステル・アクストンが共同経営者として加わり、自宅を抵当に入れてレコーディング機材を購入する手助けをした。

立ち上げ当初のサテライト・レコードは、スタックスのようなソウルの旗手ではなく、サン・レコードでのサム・フィリップスの成功に触発され、ポップ、ロカビリー、そしてバイオリン奏者でもあった彼が好んだカントリー作品などをリリースしていた。レーベルの拠点は、現在のスタックス・アメリカンソウル博物館がある926 E. McLemore Avenueの、当時、月150ドルで借りていた元劇場を改装した建物だった。

地元のDJで初期の支持者でもあったルーファス・トーマスとその娘カーラによるシングル「Cause I Love You」がローカル・ヒットを記録した翌年となる1961年、ロサンゼルスにサテライト・レコードと同名のレーベルが存在していたため、レーベル名の変更を余儀なくされた彼らは、それぞれの姓から最初の2文字を取った“STAX”(Jim StewartとEstelle AxtonでSTAX)と名付け、その後数々の忘れがたい功績を刻むことになるスタックスの15年の歴史が始まりを告げる。

'Cause I Love You

 

成功の日々とヒット曲

スタックス・レコードは、オーティス・レディング、アイザック・ヘイズ、サム&デイヴ、ブッカー・T&ザ・MG’s、ザ・ステイプル・シンガーズ、ジョニー・テイラー、アルバート・キング、ルーファス&カーラ・トーマスなど、多くの世界的スターたちを輩出。

さらに、アメリカ南部で人種隔離が色濃く根付いていた時代、スタックス・レコードは人種調和の道標となり、ジム・スチュワートが唱えたオープンドア・ポリシーによって、あらゆる信条や肌の色を持つアーティストを迎え入れた。

1975年の倒産に至るまで、スタックス・レコードからは約800曲のシングル、約300作のアルバムがリリースされ、米ビルボードのHOT100チャートに165曲、R&Bチャートに243曲を送り出し、8度のグラミー賞とアイザック・ヘイズの「Theme from Shaft(黒いジャガーのテーマ)」でアカデミー賞にも輝いている。

Theme From Shaft (Remastered)

晩年

スタックス・レコードからの声明にも記されている通り、ジム・スチュワートは2007年に初めてスタックス・アメリカンソウル博物館を訪れ、自身の77歳の誕生日をプライベートなセレモニーで祝った。

2013年には同博物館の10周年を記念式典のために、2018年には自身のバイオリンを同博物館の永久コレクションに寄贈するために、2019年にはスタックス・ミュージック・アカデミーの20周年記念計画を発表する記者会見のために公の場に姿を現している。

ジム・スチュワートとスタックスOB仲間のディーニー・パーカー(2018年、スタックス・ミュージアムにて). Photo: Stax Museum

同記者会見には、スティーヴ・クロッパー、スタックス・レコードの元共同オーナーであるアル・ベル、バーケイズのオリジナル・メンバーでベーシストのジェームス・アレキサンダー他、多数のスタックス出身アーティストたちも同席した。また、彼はスタックス・ミュージック・アカデミーの資金集めのイベントにも定期的に参加していた。

ジム・スチュワートには、妻のエブリン・スチュワート、姉妹のエステル・アクストン、メアリー・ルシール・マカルピン、そして子供のローリ、シャノン、ジェフ・スチュワート、孫のアリッサ・ルイベルとジェニファー・スチュワートがいる。尚、追悼式の開催は未定となっている。

Written By Paul Sexton



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