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ナザレスの創設メンバーでギタリストのマニー・チャールトンが80歳で逝去。その功績を辿る
スコットランド出身のハードロック・バンド、ナザレスの創設メンバーでギタリストのマニー・チャールトン(Manny Charlton)が2022年7月5日に80歳で逝去したことが、彼の孫によってソーシャルメディア上で伝えられた。
ミュージシャン、プロデューサー、作家でもあった彼の演奏は、「Broken Down Angel」(1973年)、「Bad, Bad Boy」(1973年)、「Love Hurts」(1974年)などのバンド最大のヒット曲で聴くことができる。
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その生涯
スペイン生まれのスコットランド人であるマニー・チャールトンは、1968年にヴォーカリストのダン・マッカファーティー、ベーシストのピート・アグニュー、ドラマーのダレル・スウィート(彼らは皆、60年代の大半をザ・シェイデッツというバンドで活動していた)と共にナザレスを結成。バンド名は、ザ・バンドの「The Weight」の歌詞に由来する。
その後数年間、彼らはアルバム『Razamanaz』から、全英TOP10入りを果たした「Broken Down Angel」や「Bad, Bad Boy」などのヒット曲をリリースしながら、名声を高めていく。
バンドの初期作品の手掛けたディープ・パープルのロジャー・グローヴァーに代わり、マニー・チャールトンがプロデューサーを引き継いだ1975年のアルバム『Hair of the Dog』は、「Beggars Day」「Please Don’t Judas Me」「Love Hurts」のカヴァーなどのヒットにより、バンド史上最大のセールスを記録した彼らの代表作として知られている。
ブーデロウ・ブライアントが作曲し、エヴァリー・ブラザーズが原曲を歌う「Love Hurts」のカヴァーは、カナダ、南アフリカ、オランダのチャートで首位を飾り、アメリカとオーストラリアではTOP10入りを果たす世界的ヒットとなった。
彼はその後70年代を通して、プラチナ・セラーを記録した『Close Enough for Rock ‘n’ Roll』(1976年)、コールド・ディスクに認定された『No Mean City』(1979年)など、バンドのアルバムのプロデュースを担った。
幻のガンズのプロデュース
80年代半ば、マニー・チャールトンはガンズ・アンド・ローゼズのアクセル・ローズからの指名により、アルバム『Appetite For Destruction』のための楽曲プロデュースを依頼された。 彼のサウンド・シティでのセッションは最終的にバンドの伝説的なデビュー作に収録されることはなかったが、当時のアウトテイクは、2018年に再発されたデラックス盤で聴くことができる。
20年以上ナザレスに在籍したマニー・チャールトンは、1990年にソロ・キャリアに専念するためにバンドを脱退。ソロ・デビュー作『Drool』をリリースした翌1998年、テキサスに移住し、マニー・チャールトン・バンドを結成した。その後も様々なバンドのツアーやレコーディングに参加する傍ら、ソロ・アーティストとして多くの作品を生んだ彼は、2016年に最後のスタジオ・アルバム『Solo』を発表している。