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プロデューサー横暴録!「金返せ」と詰め寄る男からバルコニー吊るしまで
ヒップホップやR&Bなどを専門に扱う雑誌『ブラック・ミュージック・リヴュー』改めウェブサイト『bmr』を経て、現在は音楽・映画・ドラマ評論/編集/トークイベント(最新情報はこちら)など幅広く活躍されている丸屋九兵衛さんの連載コラム「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第26回。
今回は現在、黒人音楽月間として実施されているオンライントークイベントの内容を凝縮してお届け。もっと知りたい方は、こちらをチェック。
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「カネ返せ!」on the street
家族ぐるみのコロナ給付金詐欺事件(約10億円)の男が登場してから霞んでしまったが、忘れてはならないのが山口県阿武町の「4630万円返還拒否」男、24歳。実はヒップホップ界にも、払い過ぎた方が返還を迫ったが拒否されたという事件がありましてね……。
1990年代、ラッパーAがラッパーBの曲にゲスト参加。その後、ラッパーAに振り込まれた金は、約束の額よりだいぶ多かった。ラッパーAは「あれっ」と思ったものの、「ええ仕事したぶんのボーナス込みやな」と一人で納得したらしい。
しかし! 後日、そのギャラで購入した新品の服でニューヨークのストリートを歩いていたラッパーAは、ラッパーBのところの社長でもあるプロデューサーと路上でバッタリ。すると社長は「手違いで秘書が本来の額より多く振り込んでしまった。返せ!」と迫ってくるではないか! それに対して、ラッパーAは「こちらも秘書が手違いで既に使い込んでしまった。返せん」といなして、その場を切り抜けたという。
ここで想像してほしい。路上でばったり出会ったラッパーに「金返せ」と詰め寄るプロデューサーの姿を。おまけに、そのプロデューサー兼社長——パフィ/パフ・ダディ/ディディとして知られるショーン・コムズ——はのちに、調子に乗って自分もラッパーとしてデビューしてしまった人物である。こんなプロデューサー/エグゼクティヴ、他のジャンルで聞いたことがあるだろうか?
他のジャンルと比べて、プロデューサーのネームヴァリューが強調され、担当者の采配や経営陣の人事といった所属組織をめぐるモロモロに左右されることがやけに多いブラック・ミュージックというジャンル。だからだろうか、裏方のはずの人々にまつわる派手なエピソードに事欠かないのだ! そんな彼ら、時としてアーティスト以上の存在感を放つプロデューサーとエグゼクティヴたちの行状とジャンル特性との関わりを考えるのが今回の試み。題して【プロデューサー横暴録!】である。
ドクター、ドクター
ずいぶん前に、サウス・セントラル・カーテルの皆さんから教えられたことがある。「N.W.Aは確かにギャングスタ・ラップのグループではあった。でも、決してギャングスタ・グループではなかったな」と。
いいところを突く発言だが、その言い切りは正確ではない。N.W.Aのクラシックなラインナップである5人のうち、イージー・EとMC・レンはギャングスタ経験があったのだから。だが、その2人だけだ。あとの3人は作詞が得意な学生だったり、ただ音楽とパーティが好きなDJだったり。
しかし「朱に交われば」と申しまして、ギャングスタを装い演じるうちに感化されて、ギャングスタもビックリな行動を実際にとってしまう一般人も存在する。N.W.Aのケースではドクター・ドレーだ。
同僚であるイェラ(ギャングスタ経験なし)が「レコードが終わっても、その先に続くべき音が聞こえている。そんな才能」と評したドレーも、やはりギャングスタ経験皆無。だが、N.W.Aの面々のうち、最も暴力事件に関わった男でもある。交際したミシェレイ(Michel’le)には家庭内暴力をふるい、レーベルメイトのTairrie Bのことは「このルースレス・ビッチ!」と罵倒。そして、FOX TVのレポーター、ディー・バーンズ(Dee Barnes)に対しては……いや、ここでこれ以上書くのはやめておこう。それほどに、筆舌に尽くし難い狼藉だから。
プロデューサー・クレジットは誰のもの?
そんなドレーに関しては、クレジット操作疑惑も取り沙汰されている。かつてのレーベルメイトだが、今やドレーをさほど快く思っていないダズ・ディリンジャーがわたしに向かって曰く、「ドクター・ドレーは一日中ずっとスタジオでつまみをいじってる。俺が作ったトラックだとしても、とにかくドレーはツマミをいじる。そうこうしてアルバムがリリースされてみると、クレジットには”Produced by Dr. Dre”と書いてあるんだ!」。
もちろん、すべての物語には二つ(以上)の側面があるから、これはあくまでダズの見方でしかない。だが、「どこからどこまでがプロデューサーの仕事か」「誰がプロデューサー・クレジットを得るべきか、それを決めるのは誰なのか」がたびたび疑問に感じられるのも事実だ。世の中のほとんどのことが最終的には密室で決められる以上、最後までその密室に残れて、最後まで決定作業に関われる権力者が多くを手にすることになる。
80年代末のニュー・ジャック・スウィングに目を移そう。ほとんどの人が「実質的にはテディ・ライリーが作り上げたもの」と見なしている曲でも、クレジット上のプロデューサーはジーン・グリフィンとなっている例がままある(共同プロデュース名義もある)。彼は、もともと”天才少年ミュージシャン”として知られたテディのマネージャーにして、育ての親に近い存在であり、”後見人”という形容がぴったりくる人物だ。「ジーンがクレジット操作を意のままにしていたのでは?」という疑惑は根強い。
動かざることケルズのごとし
プロデューサーの権力というものを別の形で行使する者もいる。R・ケリーだ。
※ここでは現在裁判中の件に触れない
彼に関して驚異的なのは、1992年のデビュー以来、音楽的には一度も失敗したことがないという事実(人生はもちろん失敗しているが)。黒人音楽史上で最も息が長いアーティストだろう。そんな彼が一度も来日公演をしていないのは——彼に見合った報酬と、日本における動員力のバランスの問題もあろうが——重度の飛行機恐怖症だからである。
ゆえに。R・ケリーにプロデュースしてもらうためには、彼の地元シカゴまで出向かねばならない。どんな大先輩でも、だ。そんな大先輩の一人、チャーリー・ウィルソンは、R・ケリーのスタジオがシカゴ内でかなりガラの悪いフッドの中にあること、そんな街角でR・ケリーの到着(遅刻したらしい……地元なのに)を待つのが気が気でなかったことを、のちに語っている。
Rが持つ「ガラの悪いシカゴのフッド」に対する愛着と誇りが、プロデュース業の中で別の軋轢を生むこともあった。エディ・マーフィ&マーティン・ローレンス主演の映画、邦題『エディとマーティンの逃走人生』こと『Life』のサウンドトラックをR・ケリーがプロデュースすることになった時のこと。参加アーティストの一人であるMaxwellが「タイトル曲を歌いたい」と申し出たところ、Rは「こんな終身刑がテーマのハードな曲、おまえみたいなファンシーな街出身のボンボンが歌えるわけないだろ」(意訳)と返したというのだ。Maxwellが生まれ育ったブルックリンは、そんなに上品な街なのか?
コンプトンの赤い巨人
さて、ガラの悪さといえば……もちろんシュグ・ナイトの右に出る者はいない。そもそも、このイベントのタイトル【プロデューサー横暴録! 地獄の試聴会からバルコニー吊るしまで】に「バルコニー吊るし」が含まれているのは、彼が某アーティストの足首を掴んでベランダから逆さまに吊るして脅し、印税を強奪!という一件があまりに強烈だからである……。
Written By 丸屋九兵衛
丸屋九兵衛 オンライントークイベント
・6/1:思い出したい歌がある〜【4GOTTEN RELMZ】忘却の彼方を超えて、ネオ・ソウルの90年代へ
・6/3:黒人音楽概論。「なぜ歌詞で他人の悪口を言うのか」問題&その他の謎について
・6/10:プロデューサー横暴録! 地獄の試聴会からバルコニー吊るしまで
・6/24:切なくも愛しい未発表アルバムの世界。封印された作品たちの足跡を辿る
・6/30:再び、映画と音楽が出会うとき。ソウル/R&B/ヒップホップ・ムーヴィーの伝説は続く
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