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ローリング・ストーンズは1977年のトロントでのシークレット・ギグをどのように行ったのか

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The Rolling Stones - Photo: Bettmann / Contributor / Getty Images In 1977

1977年3月4日と5日、ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)はトロントのクラブ「エル・モカンボ」で2晩に渡ってシークレット・ライヴを行った。2022年5月13日に初めて公式発売された『Live At The El Mocambo』には、その時の最高の演奏が収められており、バンドの最高のパフォーマンスを聴くことができる。

このアルバムのライナーノーツからの抜粋では、uDiscoverでも記事を執筆しているライターのポール・セクストンが、バンドがどのようにシークレット・ギグを成功させたかを語っている。

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The Rolling Stones | Live From El Mocambo 1977 | A New Album

 

シークレット・ライヴが実現するまで

地元では“El Mo”として知られる300人収容のクラブで行われるシークレット・ライヴの日程は、緻密な計画をもって決められなければならなかった。シークレット・ライヴの煙幕となったのは、モントリオールの人気ロックバンド、エイプリル・ワインだ。彼らは後にキャピトル・レコードからのアルバム『Harder…Faster』やプラチナ・セラー『The Nature of the Beast』で世界的に知られることになる。

世界で最も有名なロックンロール・バンドに関わることであれば、どんなことでも秘密にしておくことは難しい…。トロントのクラブでのライヴは、ミック・ジャガーとツアー・マネージャーのピーター・ラッジによって、何ヶ月も前から計画されていた。実はその前年、彼らはシークレット・ライヴの候補地を探しながら、この街のホテルであるウィンザー・アームズ・ホテルに足を踏み入れた。そこに、ラジオパーソナリティーで経営者でもある、カナダ音楽界の重鎮、ダフ・ローマンが偶然居合わせていた。彼は後に『ナショナル・ポスト』紙にこう語っている。

「(ホテルのレストランに)彼らが入ってくるのが見えたんだ。私は冷静さを装って、CHUM FMの名刺に“何かあったらここにいます”とメッセージを書いた。そしてウェイターを呼んで、ミックとピーター・ラッジのテーブルまで持っていってもらったんだ。ラッジがまずそれを見て、それからミックが見たがった。しばらくして、二人が見渡したので、私は手を挙げ、うなずき、微笑んだんだ。そして、彼らはその場は去ったんだけど、何ヶ月か経ってから連絡がきたんだ」

その時、ラッジはダフ・ローマンに、メディアにバレずにシークレット・ライヴを行うことはできるか?と尋ねた。「私は彼に、“可能です”と伝えた。そして、どうしたら誰にも知られずにできるかを考え始めたんだ」と、ローマンは振り返る。

会場となる「エル・モカンボ」のブッキング担当だったデイヴ・ブルーステインは、3月の公演を「エイプリル・ワイン」のライヴだとして告知することを思いついた。そして、ラジオでリスナーへの投稿企画が実施され、「ローリング・ストーンズのライヴを見るために何をしますか?」という質問が投げかけられた。この質問は本物のストーンズファンで会場を満席にするの布石だった。寄せられた投稿への賞品は、エイプリル・ワインと無名のバンド、コックローチズ(Cockroaches)のコンサートチケットだった。

ブッキング担当のデイヴは「自然な形にできた。もし、何か情報が漏れたとしても、“いや、見て、エイプリル・ワインが演奏するんだ”と言える。ここにそう書いてあるしね」と振り返る。最初のショーの日、バンドは2階でリハーサルを行い、ライヴ・レコーディングのためのサウンドチェックを行った。

 

ライヴ直前のキースの逮捕

この時、バンドは7カ月間、ライヴ演奏をしていなかった。ロバート・フランク監督による1972年の映画『コックサッカー・ブルース』の画像をNews of the World紙が掲載するのを阻止しようとするなど、さまざまな内部問題に対処したり、トロントでのリハーサルの途中で、ミックは娘のジェイドが虫垂炎にかかったため、ニューヨークへ急行しなければならなかった。

しかし、彼らの心の中で最も切実だったのは、キースの衰弱した心身だった(*キースはエル・モカンボ公演の直前にドラッグ不法所持で逮捕され、終身刑の可能性もあった)。ビル・ワイマンは、2002年に出版された『Rolling With The Stones』の中で次のように語っている。

「俺はキースのことを、仕事仲間としてだけでなく、(友人として)気にかけていたと言える。俺たちは13年の間に多くのことを経験し、世界を征服し、単なる言葉では言い表せないような冒険を分かち合ってきたんだ。キースは普通の社会のルールで生きる必要はない、それは真実だろ。…何といっても、それはキースの人生なんだから」

「エル・モカンボ」の初日、バンドは午後4時半にサウンドチェックのために会場に到着した。通行人は、演奏される「Honky Tonk Women」や「Tumbling Dice」の響きを聞きながら、そっくりなカバーバンドの演奏に驚嘆したに違いない。この日のライヴでエイプリル・ワインは当然ながらサポートに回ったが、エイプリル・ワインは後にアルバム『Live At The El Mocambo』をリリースすることになる。この忘れられないイベントに参加したことで、エイプリル・ワインは国際舞台へのパスポートを手に入れたのだ。

Honky Tonk Women (Live At The El Mocambo 1977)

 

首相夫人との噂

カナダのファースト・レディでピエール首相の妻だったマーガレット・トルドーが、ライヴに現れたとき、ストーンズはメディアにとって格好のネタとなった(*マーガレットはミックとの関係が噂されていた)。これは、トルドー夫妻の6年間の結婚生活、特に一緒に記念日を祝うこともなく、関係がボロボロになっていたことが世間に知られる前のことだ。

マーガレットは二晩のライヴに参加し、ミキシング・デスクの近くで飛び跳ねていた。ライヴが終わると、News At Tenがマーガレットがライヴに参加したことを報道。ミックはCBCに「彼女はただショーを見たかっただけだよ、それだけ」と語っている。

その結果、2日目のライヴ当日に、コックローチズはその正体が明かされてしまった。ビルは「噂が広まり、中に入るのが大変だった」と回想している。(直前に逮捕されていた)キースは、ライヴの間だけでもマスコミの熱狂から逃れられたことに間違いなく安堵していたようで、こう振り返っている。

「ステージに上がった瞬間、Crawdaddyでの日曜日のライヴと同じように感じたよ。トロントで起こった奇妙な出来事の一つだ。みんなが破滅だの災難だの言って回っているのに、俺たちはエル・モカンボのステージに上がっていて、決して良い気分にはならなかった。でも俺たちの音は最高だったよ」

The Rolling Stones – It’s Only Rock ‘N’ Roll (But I Like It) | Live at El Mocambo, 1977

Written By Paul Sexton


ストーンズの伝説的ライヴがついに発売ザ・ローリング・ストーンズ『Live at the El Mocambo』
2022年5月13日発売
CD / 限定LP / iTunes Store / Apple Music / Amazon Music


ザ・ローリング・ストーンズ『LICKED LIVE IN NYC』
2022年6月10日発売
①DVD+2CD / ②SDブルーレイ+2CD / ③2CD


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