Join us

News

電子音楽界のパイオニア、クラウス・シュルツェが74歳で逝去。その功績を辿る

Published on

Klaus Schulze - Photo: Jakubaszek/Getty Images

ドイツが生んだ電子音楽界のパイオニアであるクラウス・シュルツェ(Klaus Schulze)が74歳で亡くなったことが、彼のソーシャルメディア上で彼の息子マックスによって伝えられた。

「深い悲しみの中、クラウスが長い闘病生活の末、昨日2022年4月26日に74歳で亡くなったことをお知らせしなければなりません。突然のことでした。彼は大きな音楽的レガシー、そして妻と2人の息子、4人の孫を後に残しました。彼の名において、また家族の名において、長年にわたる皆様の忠誠とサポートに感謝いたします」

「人間として、アーティストとして、彼についてまだまだ書きたいことがたくさんあるのですが、彼はおそらく、“もう十分だよ”と言うでしょう。本人の希望により、私たちは近親者のみで彼に別れを告げます。ご存知の通り、彼は常に“私個人ではなく、私の音楽が重要なんだ”と言っていました。マキシミリアン・シュルツェ」

<関連記事>
ドイツを代表するミュージシャン・ベスト12:様々な音楽を生み出した先駆者たち
【特集】大作アルバムやコンセプト・アルバムはいかにして生まれるか?
ドイツのエクスペリメンタル・ロック:60年~70年代に活躍したバンドたち

Ashes to Ashes

その生涯

作曲家、ソロ・アーティストとして知られるクラウス・シュルツェは、そのキャリアを通して、1975年の『Timewind』、翌年の『Moondawn』、そしてアーサー・ブラウンをヴォーカルに迎えた1979年の『Dune』といった代表作を含む、60作以上のソロ・アルバムを生んだ。

一方で、1969年にサイ・フリー(Psy Free)のドラマーとして活動を開始し、1970年にはタンジェリン・ドリーム(Tangerine Dream)のデビュー・アルバム『Electronic Meditation』にドラムで参加している。

タンジェリン・ドリームを脱退後、マニュエル・ゲッチング、ハルトムート・エンケと共にクラウトロック・バンド、アシュ・ラ・テンペル(Ash Ra Tempel)を結成するが、再び1年ほどで脱退したクラウス・シュルツェは、その後ソロ活動をスタートさせ、1972年にソロ・デビュー・アルバム『Irrlicht』を発表した。

Ruins (Bonustrack)

1976年には、日本人パーカッショニストで作曲家のツトム・ヤマシタ率いるスーパーグループ、ゴー(Go)のプロジェクトにアル・ディ・メオラ、スティーヴ・ウィンウッドらと共に参加している他、リチャード・ヴァーンフリード(Richard Wahnfried)名義で数枚のアルバムをリリース。過去には、クラウトロックのスーパーグループ、コズミック・ジョーカーズ、アルファヴィル、リサ・ジェラルド、ハンス・ジマーらとも共作している。

クラウス・シュルツェはさまざまな意味で先駆的な作品を生み出した。彼の壮大な電子音はアンビエントやニューエイジ音楽の基礎となり、連続する電子的フレーズで表現されたそのリズム感は、テクノやトランスなどのダンスミュージックへの道を切り開いていった。

Klaus Schulze – Osiris Pt#1 (Official Visualizer)

先月、クラウス・シュルツェはドイツのレーベルSPVと再契約し、最新ソロ・アルバム『Deus Arrakis』を今年6月10日にリリースすることを発表していたばかりだった。SPVの取締役社長であるフランク・ウーレは、次のように述べている。

「クラウス・シュルツェの突然の訃報に接し、私たちはショックを受け、悲しみに暮れています。電子音楽界で最も影響力のある重要な作曲家の一人であり、信念を持った人物であり、並外れたアーティストでもあった私たちの親しい友人を失い、寂しい限りです。彼の妻、息子たち、ご家族に心からお悔やみ申し上げます。彼の常に明るい性格、革新的な精神、印象的な作品群は、私たちの記憶に深く刻まれています」

Written By Tim Peacock




Share this story
Share
日本版uDiscoverSNSをフォローして最新情報をGET!!

uDiscover store

Click to comment

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Don't Miss