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KISS『Destroyer/地獄の軍団』制作秘話:ロックを超えて、ポップの世界に参入した大出世アルバム
KISSによる最初の3枚のアルバムは大きな成功は納めなかったが、1975年にリリースしたライヴ・アルバム『Alive!』が正当に評価されたことにより一気に突破口が開かれた。しかしそのまま大スターになるためには、次のスタジオ・アルバム『Destroyer(地獄の軍団)』をそれまでの作品の中で最強のアルバムに仕上げなければならないと自覚していた。
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「俺たちはロックを超えて、ポップの世界に参入した」
当時のことについて、ギタリスト兼ヴォーカリストのポール・スタンレーは2016年にローリング・ストーン誌にこう語っていた。
「(”Alive!”で)やっとヒットを出すことができた。そして当時のマネージャーに“リスクを負って賭けに出ないと簡単に後戻りしてしまう”って言われて、ボブ・エズリンと一緒に仕事をすることを提案されたんだ」
70年代には引く手あまたのプロデューサーだったカナダ人のボブ・エズリンは、KISSが興味を持った時にはすでに大人気の存在となっていた。ルー・リードの『Berlin』など高く評価された作品のプロデュースを手掛けてきたボブ・エズリンだが、一番有名だったのはアリス・クーパーの『Billion Dollar Babies』のプロデュースだろう。欧米で大ヒットとなったその作品のお陰でアリス・クーパーは1973年に最も有名なロックスターの1人となったのだ。
エズリンもKISSの存在はすでに知っており、イギー・ポップの故郷であるミシガン州アナーバーで行われた熱狂的コンサートを観に行っていたことを、後にローリング・ストーン誌にこう語っている。
「信じられないぐらいエネルギッシュでエキサイティング、ドラマチックでパワフル、そしてとにかく素晴らしく、純粋な男らしい最高のロックでした。だけど僕は、もっと幅広い観客にも受けるはずなのになって感じたんです。だからアルバムのプロデュースを了承した後には、女性や若い男性にも届く音楽を作ることが根本的な使命となりました。ヘヴィなロックを超えて、ポップの世界に参入することをみんなで目指したかったんです」
「一種のブート・キャンプだった」
ボブ・エズリンは厳しいプロデューサーとして知られており、『Alive!』ツアー直後の1976年初期にニューヨークのElectric Lady Studiosにて行われた『Destroyer』のセッションでKISSはどれだけエズリンが真剣に仕事に取り組むのかを目の当たりにした。プリプロダクションにこだわり、全曲のアレンジを可能な限り磨き上げるエズリンは、音楽理論のレッスンをメンバーに受けてもらうために一時セッションを中断するほどだった。ポール・スタンレーは2016年にこう振り返る。
「その頃にはすでに俺たちは、“自分たちはロックスターだ”って思ってたから、人になめられることは許せなかった。だけどボブとなると、俺たちは口にチャックをして黙って言う通りにした。明らかに彼の方が経験値があったからね。一種のブート・キャンプだったけど、輝かしい楽しい時間だったよ」
エズリンの規律あるアプローチは、『Destroyer』に収められた「Shout It Out Loud」「Flaming Youth」「Detroit Rock City」といったロック・ソングに深みとパワーを与えることになった。そして同時にエズリンは野心的な楽曲の数々をそのスタジオでの知識を活かしてさらに強化したのだ。
ポール・スタンレーが後に「映画的なアルバム」と評したように、重い雰囲気の「God Of Thunder」の子供たちの叫び声やピーター・クリスのドラムのバックマスキングなど、エズリンは戦略的に音響効果を取り入れた。その他にも、エズリンとベージスト兼ボーカリストのジーン・シモンズが大胆にもベートーヴェンの「ピアノソナタ第8番 ハ短調」を取り入れ、ブルックリン少年合唱団の歌声を「Great Expectations」に付け加えた。その他にもピーター・クリスが作曲したバラードにもエズリンは興味を注いだ。
「KISSにとっての‘Stairway To Heaven’だった」
エズリンは「Beth」についてこう話す。
「最初はもっと陽気でカントリー調に訛って歌うような感じの曲で、タイトルも“Beck”だった。スタジオから自分の家に戻ってからあの曲を特徴づけるピアノが思い付いて、それからもっとロマンチックでほろ苦い方向に持って行ったんです」
「Beth」と改名されクリスが歌う生まれ変わったトラックは、KISSとエズリンが探し求めていた魅力を持ち、『Destroyer』の3枚目となるシングル「Detroit Rock City」のB面として発売されると、ラジオ局にリクエストが殺到。その反響を受け、KISSは「Beth」をアルバムの4枚目のシングルとして新たに1976年8月に発売した。そしてこの楽曲はその後、期待通り全米シングルチャートで最高7位にランクインされ、バンドにとって初のトップ10ヒットとなったのだ。
さらに「Beth」の大ヒットの影響で、1976年3月15日にカサブランカからリリースされた『Destroyer』への人気が再熱。発売当初も好成績を挙げ、全米アルバムチャートで11位まで上昇したが、その後ランキングは下がっていった。しかし「Beth」の成功によって『Destroyer』は1976年の秋には再びチャートを駆け上り、その後、世界で最もビッグなロック・バンドの一つとなるバンドによる初のプラチナム・ディスクを獲得することになった。
ボブ・エズリンは2016年にローリング・ストーン誌に語っている。
「この作品の鍵となったのはたくさんのリハーサルをやったこと。みんな楽曲を細かく把握できていた。スタジオへ集まった頃には、素晴らしいパフォーマンスをただ行うだけでよかったんです」
そしてピーター・クリスはこう付け足した。
「個人的には、あのアルバムはKISSにとっての“Stairway To Heaven”と言える。図々しいかも知れないけど、そう言わせてもらうよ。あれは僕たちにとっての“すごい!”って思えるアルバムなんだ」
Written By Tim Peacock
発売45周年を記念 最新リマスター+未発表音源
KISS『Destroyer 45th』
2021年11月19日発売
日本国内盤2CD
5枚組スーパー・デラックス・エディション
2LP(カラー) / 2LP
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