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1981年に発売されたアルバム・ベスト57選:40年前に生まれた多彩な名盤たち
1981年はある意味転機の年だったように感じられるかもしれない。パンクのエネルギーは全く異なる何かに完全に変貌し、シンセ・ポップの萌芽は明らかで、既に傑作と言われる作品も発表されていた。時代を象徴するシンセサイザー、ローランド社TR808(通称:ヤオヤ)はイエロー・マジック・オーケストラを通じて日本で紹介されているところで、リック・ジェームズとプリンスは、彼ら自身らしい作品を発表するのに大忙しだった。
音楽に満ちた年として、1981年は多くの名盤が発表された年だった。ここに紹介するのはそのうちのごく一部だが、音楽を探すその一助としてアーティストのアルファベット順に紹介しよう。
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1. アバ(ABBA)『The Visitors(ザ・ビジターズ)』
陽気で活発な70年代のヒット曲で知られるスウェーデン出身のポップ4人組、アバは、80年代に隆盛を極めることになる哀愁漂うシンセサイザー・サウンドを主体にしたバンド達のために、このアルバムで一転荒涼としたトーンの先鞭を付けたといえるだろう。
2. AC/DC『For Those About To Rock (We Salute You)(悪魔の招待状)』
前作『Back In Black』の勢いを受けた『For Those About To Rock (We Salute You)』は、このオーストラリア出身のハード・ロック・バンドが成功の方程式を更に磨き上げたことによって、彼らにとっての初の全米ナンバーワン・アルバムとなった。
3. アダム&ジ・アンツ『Prince Charming(プリンス・チャーミング)』
アルバムとシングル両方とも全英ナンバーワン・ヒットとなった『Prince Charming』と「Stand And Deliver」のミュージック・ビデオは、派手な衣装を身にまとったアダム・アントをMTV初期のピンアップ・スターにして、このアルバムを1981年のベストアルバムの一つにした。
4. ブラック・サバス『Mob Rules(悪魔の掟)』
(オリジナルメンバーのオジー・オズボーンではなく)ロニー・ジェイムス・ディオがヴォーカルを担当していたブラック・サバスのラインアップは、ベースを実験的に使うことでバンド・サウンドの限界を破り、アルバムはアメリカでゴールド・ディスクに認定され、イギリスではさらに大きなチャートでの成功を収めた。
5. ブラック・ウフル『Red(レッド)』
グレイス・ジョーンズの重要な1981年のアルバム『Nightclubbing』も手がけたスライ&ロビーのプロデュースによる、ダイナミックで常にスタイルを変えるジャマイカ出身のグループの6作目のアルバムは、ボーカルのマイケル・ローズとバンド創始者のデリック“ダッキー”シンプソンによる素晴らしいソングライティング力が存分に発揮されていて、後に多くのアーティストがフォローすることになるロックとダブの影響を受けたレゲエの楽曲スタイルを完璧に決めている。
6. ボビー・ウーマック『The Poet(詩人)』
1981年のベストアルバムの一つであるこの官能的な作品は、ボビー・ウーマックのソロ・キャリアのピークを示していた。『The Poet』には後に無数の楽曲にサンプルされ、ループに使われたシングル「If You Think You’re Lonely Now」が収録。また、3年後にはこのアルバムの続編が生まれている。
7. ブライアン・イーノ&デイヴィッド・バーン『My Life In The Bush Of Ghosts(ブッシュ・オブ・ゴースツ)』
アンビエント・ミュージックの始祖、ブライアン・イーノとトーキング・ヘッズのリーダー、デイヴィッド・バーンは協力して、レバノンの歌手やテレビ伝道師、トーク・ショーのホストそしてお経を唱えるイスラム教徒達などの声の断片を使ったサンプリングをベースに作り上げたサイケデリック・ミュージックの画期的なコレクションを発表した。
8. ザ・キュアー『Faith(フェイス)』
母国のイギリスではトップ20ヒットだったが、ロバート・スミス率いるザ・キュアーの3作目のアルバム『Faith』は、それよりもむしろリリース以来数十年にわたって、ゴス・ミュージックをはじめ様々なジャンルへ大きな影響を与えた作品として広く認められるようになった。
9. ダリル・ホール&ジョン・オーツ『Private Eyes(プライベート・アイズ)』
MTVで人気を呼び、100万枚売上のプラチナ・ディスク認定を受けた『Private Eyes』はホール&オーツの10作目のアルバムで、多くの楽曲にもサンプリングされた「Private Eyes」とR&Bにもクロスオーバーしたスマッシュ・ヒット「I Can’t Go For That (No Can Do)」の2曲のナンバーワン・ヒットを収録している。
10. デフ・レパード『High ‘n’ Dry(ハイ&ドライ)』
ロバート・ジョン・マット・ラングのプロデュースによる、デフ・レパードの2作目のアルバムからは米ビルボード誌メインストリーム・ロック・ソング・チャートのトップ40に入るシングル「Let It Go」が生まれ、歴史的なヒット・アルバムとなる次作『Pyromania(炎のターゲット)』の前触れとなった。
11. エコー&ザ・バニーメン『Heaven Up Here(ヘヴン・アップ・ヒア)』
リヴァプール出身のグループ、エコー&ザ・バニーメンの2作目のアルバムにおける、魅力的で哀愁に満ちたポスト・パンクの実験的試みはこれ以降の作品に比べてより深く、よりポップを意識した仕事であり、そのスタイルはこれ以降のアーティスト達に多く模倣され、この作品は1981年のベスト・アルバムの1枚となった。
12. エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズ『Trust(トラスト)』
『Trust』が2003年に再発された時にエルヴィス・コステロ自身が書いたライナー・ノートには、失恋や世界の状況を歌った、目まいがするくらいスリリングな曲の数々を「自ら起こした神経衰弱状態に近い完成度」だと表現している。
13. フォリナー『4』
フォリナーにとっては超新星爆発のようなヒットとなった4作目のアルバムは、全米アルバム・チャートにて10週間1位を含む通算81週にわたってチャートインし、「Juke Box Hero」「Urgent」そしてパワー・バラードの「Waiting For A Girl Like You」などのトップ10ヒットを収録している。
14. ギャング・オブ・フォー『Solid Gold(ソリッド・ゴールド)』
80年代初期のポスト・パンク期には広い範囲にわたる音響的実験やジャンルを超越するような音楽スタイルが登場したが、ギャング・オブ・フォーの2作目のアルバムに取り入れられたファンクからの派生ビートには、インエクセス、R.E.M.、レッド・ホット・チリ・ペッパーズといった後の有名アーティスト達の多くが大きな影響を受けたと証言している。
15. GO-GO’S『Beauty And The Beat(ビューティ・アンド・ザ・ビート)』
ヴォーカルのベリンダ・カーライル率いるロサンゼルス出身女性5人組ロック・バンドは、そのデビュー・アルバムで彼女らのいくつかの代表的ヒット曲集を作りあげていた。そのヒット曲とは、全米シングル・チャートの2位に昇った「We Got The Beat」とトップ20入りした「Our Lips Are Sealed(泡いっぱいの恋)」だ。
16. グレイス・ジョーンズ『Nightclubbing(ナイトクラビング)』
ジャマイカ生まれのシンガーで、永遠のスタイル・アイコンによる5作目のアルバムには、スライ&ロビーによるダブ風味のリズムがフィーチャーされたダンスフロアの定番曲「Pull Up To The Bumper」や、今や彼女自身の曲と思われていて、実はデヴィッド・ボウイとイギー・ポップ共作によるアルバム・タイトル曲のカバーバージョンが収録されている。
17. ザ・ガン・クラブ『Fire Of Love』
ロサンゼルスのグループのデビュー・アルバムの音数を削ぎ落としたブルース・パンクの感覚は、このアルバム『Fire Of Love』のタイトル曲やその他の収録曲に反映されており、ライブでカバー演奏したホワイト・ストライプスらの後のバンド達に多大な影響を与えた。
18. ヘヴン・セブンティーン『Penthouse And Pavement(ペントハウス・アンド・ペイヴメント)』
シンセ・ポップ・グループのヒューマン・リーグ脱退後、マーティン・ウェアとイアン・マーシュはプロダクション・チームのB.E.F.(British Electric Foundation)を結成し、シンガーのグレン・グレゴリーを雇ってこのデビュー・アルバムをリリース。ここには米ソ間冷戦に触れた「(We Don’t Need This) Fascist Groove Thing」と「Let’s All Make A Bomb」、そして階級間格差をテーマにしたアルバムタイトル曲が収録されている。
19. ヒューマン・リーグ『Dare(ラヴ・アクション)』
このシンセ・ポップ・グループの3作目のアルバムは、8カ国でナンバーワンを記録した大ヒット曲「Don’t You Want Me(愛の残り火)」の力で、リーダーのフィル・オーキーと当時加入したばかりのヴォーカル担当、ジョアン・キャスロールとスーザン・アン・サリーを、一気にポップ・スターダムに押し上げた。
20. アイアン・メイデン『Killers(キラーズ)』
ロンドンの伝説的ヘヴィ・メタル・バンドの移行期にリリースされた2作目のアルバムは、ギターのエイドリアン・スミスの新加入を受けてアメリカでのツアーを可能にした。そしてこのアルバムはヴォーカルのポール・ディアノが参加した最後の作品となった。
21. J.ガイルズ・バンド『Freeze-Frame(フリーズ・フレイム)』
セクシャルなテーマを含む10作目のアルバムは、MTVでヘビー・ローテーションとなったナンバーワン・ヒット「Centerfold(堕ちた天使)」とヒットチャート4位を記録した「Freeze Frame」のおかげで、このマサチューセッツ州出身のロック・バンドの魅力ある作品となった。
22. ジャパン『Tin Drum(錻力の太鼓)』
デヴィッド・シルヴィアン率いる芸術的かつ実験的なバンドは、この内省的でアジアの影響を受けた1981年のアルバムを最後に、ジャパンというプロジェクトの幕を引いた。この作品には全英トップ10ヒットの「Ghosts」を含み、初期のシンセ・ポップの傑作としての地位を確たるものにしている。
23. ジョーン・アーマトレーディング『Walk Under Ladders(アイム・ラッキー)』
イギリス人シンガーソングライターのジョーン・アーマトレーディングは熟練したギタリストとして知られているが、スティーヴ・リリーホワイトがプロデュースした彼女の自信に満ちた楽しいアルバム『Walk Under Ladders』では、トーマス・ドルビーの参加もあってシンセサイザーにも手を出している。その後、このアルバムはメリッサ・エスリッジやフィオナ・アップルといったアーティスト達にお気に入りのアルバムとして挙げられていた。
24. クラフトワーク『Computer World(コンピューター・ワールド)』
未来のロボット達を装った独創的なドイツのエレクトロニック音楽家たちの作品集の中でも重要作である『Computer World』の大胆なサウンドは、途絶えることなく世界中のヒップホップやエレクトロのアーティスト達にサンプルされ、ループに使われ続けている。
25. マニュエル・ゴッチング『E2-E4』
アシュラ・テンペルやアシュラといったクラウトロック(1960年代末から1970年代初めのドイツにおける前衛的ロックムーブメント)のグループでレコーディングした後、マニュエル・ゴッチングは1981年のソロ・アルバムを、チェス盤をテーマにしたジャケットでリリースし、そこに収録されたほぼ1時間に渡る一曲は、無数のハウスやテクノ、アンビエント音楽のアーティスト達の脳に閃きを与えたのだった。
26. メイズ・フィーチャリング・フランキー・ビヴァリー『Live In New Orleans』
カリフォルニア出身のソウル・グループがリリースした2枚のライブ盤のうち最初のアルバムでは、「Joy And Pain」や「Before I Let Go」(後にビヨンセがカバーした)といった時代を超えてファンの間で人気の高い曲を聴くことができる。
27. モダン・イングリッシュ『Mesh & Lace(メッシュ・アンド・レース)』
このデビュー・アルバムは、モダン・イングリッシュがブレイクする前の年にリリースされ、メインストリーム寄りのサウンド構成になるのを避けてよりダークで内省的なサウンドを展開。その後、彼らのレーベル、4AD所属の他のアーティスト達に影響を与えることになった。
28. モーターヘッド『No Sleep ‘Til Hammersmith(極悪ライヴ)』
モーターヘッドの作品群を占める大量のライヴ盤の数々の最初を飾ったのは、4枚のスタジオ・アルバムからの曲を収録したこのアルバムだ。この作品でのレミーと彼のバンドのエネルギーは、未だに他のライヴ盤の迫力レベルの基準となっている。
29. ネヴィル・ブラザーズ『Fiyo On The Bayou(ファイヤー・オン・ザ・バイユー)』
ニューオーリンズのファンク・バンドの1981年の多岐にわたる内容のアルバムにおけるハイライトの中でも、ボーカル・アレンジを担当したシシー・ヒューストンがサポートするジミー・クリフの「Sitting In Limbo」のカバー・バージョンはなかなか忘れられない出来だ。
30. オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク(OMD)『Architecture & Morality(安息の館)』
OMDの3作目のアルバムは、後に映画『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』に使われてヒットした「If You Leave」のようなポップさからは距離を置き、よりダークで、聖歌隊などの宗教的な音楽作品をサンプルしたシンセサイザーを多用した黙想のような曲で占められている。
31. ペンギン・カフェ・オーケストラ『Penguin Café Orchestra(ペンギン・カフェ・オーケストラ)』
当時まだメンバーが増えつつあった、イギリス人ギタリスト、サイモン・ジェフスのフォーク・グループによる1981年の画期的アルバム『Penguin Café Orchestra』は、室内楽やロック、ジャズそして当時新興のアンビエント音楽の世界を採り入れている。このアルバムは、その後登場した広い分野のプロデューサー達にはっきりとした影響を与えた。
32. フィル・コリンズ『Face Value(夜の囁き)』
3カ国でチャートの1位を飾り、アメリカではトップ10ヒットとなった『Face Value』は、フィル・コリンズの耳に残るヒット曲「In The Air Tonight(夜の囁き)」や自虐的な内容のトップ20ヒット「I Missed Again」に加え、ビートルズや自分が元所属していたバンド、ジェネシスの楽曲の聴く者の心をつかむカバーが収録されたアルバムとして、永遠に記憶されるだろう。
33. ポリス『Ghost In The Machine(ゴースト・イン・ザ・マシーン)』
このイギリスのロック・バンドの最大のヒット曲のいくつか(「Every Little Thing She Does Is Magic」「Spirits In The Material World」そして「Invisible Sun」)が詰め込まれたこのダイナミックなリズムに溢れたアルバムは、全米アルバム・チャートに通算109週もの間チャートインした。
34. プリンス『Controversy(戦慄の貴公子)』
100万枚を売上てプラチナ・ディスクに認定されたプリンスの4作目のアルバムは空想の世界を捨てて、「Ronnie, Talk To Russia」では当時のレーガン大統領に直接もの申す一方、「Jack U Off」や「Do Me, Baby」といった曲では花開きつつあった自らのセックス・シンボルとしてのイメージを体現させている。
35. ザ・サイケデリック・ファーズ『Talk Talk Talk(トーク・トーク・トーク)』
青春映画『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』が全米の観客を喜ばせ、サイケデリック・ファーズの北米での知名度を一気に上げる5年前に、そのサントラ盤の看板曲のオリジナル・バージョンは、1981年のベスト・アルバムの1枚に収録されていた、このイギリスのロック・バンドの3作目のアルバムで既に紹介されていた。
36. パブリック・イメージ・リミテッド(P.I.L.)『Flowers Of Romance(フラワーズ・オブ・ロマンス)』
ジョン・ライドンのセックス・ピストルズ後のプロジェクトによる自己言及的な3作目のアルバムは、彼自身の聴いてすぐそれと判るヴォーカルと、キース・レヴィンのギターの耳障りな相互作用が満載されている。またこの作品は、過去にカート・コバーンが影響を受けたアルバムとして挙げられている。
37. クインシー・ジョーンズ『The Dude(愛のコリーダ)』
多くのアーティスト達が参加したこのグラミー賞受賞アルバムは、後にR&B界のスターとなるジェイムス・イングラムを世に出し、パティ・オースティンのヴォーカルをフィーチャーし、チャス・ジャンケル作の「Ai No Corrida(愛のコリーダ)」のアンセム的カバーを産み出した作品だ。
38. ラモーンズ『Pleasant Dreams(プレザント・ドリーム)』
10ccのグラハム・グールドマンをプロデューサーに迎えたラモーンズの6作目のアルバムは、サウンドはより洗練されているが、アルバム中でも傑出したトラックである「The KKK Took My Baby Away(ザ・KKK)」(“KKKが僕の恋人を奪っていった”)で聴かれるように生々しい歌詞は健在だ。
39. リプレイスメンツ『Sorry Ma, Forgot To Take Out The Trash』
リプレイスメンツによる1981年のデビュー・アルバムは、過去ミネソタ州から出てきた中でも最高の部類に入るバンドの登場を告げた作品だ。
40. リック・ジェームス『Street Songs(ストリート・ソングス)』
モータウンのカタログの中でもファンクの宝石のような、リック・ジェームスの4作目のアルバムには、R&Bヒットの「Give It To Me Baby」に加えてティーナ・マリー(「Fire And Desire」)、スティーヴィー・ワンダー(「Mr. Policeman」)そしてテンプテーションズ(その後多数サンプリングされたトップ20ヒットの「Super Freak」)らとの共演曲が含まれている。
41. ローリング・ストーンズ『Tattoo You(刺青の男)』
全米ナンバーワン・アルバムとなった『Tattoo You』には、その前数年に亘って蓄積された楽曲と、MTVで人気があり、全米シングル・チャート2位まで上がったニュー・シングル「Start Me Up」がフィーチャーされている。
42. ラッシュ『Moving Pictures(ムービング・ピクチャーズ)』
カナダのプログレ・ロックのヒーローとも言えるこのバンドは、1981年最高のアルバムの一つであり、彼らにとって最も商業的に成功したアルバム『Moving Pictures』のリリース以来、多くのヒップホップ・アーティスト達の作品のサンプリング・ソースとなっていた。そのアルバムは何と600万枚を売上げた上、今やクラシックとされる曲「Tom Sawyer」のおかげで、全米アルバムチャートで3位に昇るヒットアルバムとなった。
43. サクソン『Denim & Leather(デニム&レザー)』
音的にもビジュアル的にも、メタリカやモトリー・クルーらに影響を与えた(そして後にコメディ風なメタルバンドをフィーチャーした映画『スパイナル・タップ』誕生のきっかけとなった)このヘビー・メタル・バンドの4作目のアルバムは、彼らの本国イギリスでトップ10ヒットとなり、シングルの「Princess Of The Night(夜の王女)」や「And The Band Played On(バンド・プレイド・オン)」をフィーチャーしている。
44. スージー・アンド・ザ・バンシーズ『Juju(呪々)』
このポスト・パンクを象徴するバンドの本国イギリスでトップ10を記録したアルバム『Juju』は、ちょうどハッピーでポップなニュー・ウェイヴ系シンセ・バンドがチャート上を席巻し始めた頃に、ギター主体のダークで陰鬱なサウンドに立ち戻ったことで賞賛を受けていた。
45. ソフト・セル『Non-Stop Erotic Cabaret(エロティック・キャバレー)』
イギリス人シンガーのマーク・アーモンドとシンセサイザーの達人デヴィッド・ボールは、3カ国でトップ10を記録し、物議を醸すような楽曲(「Sex Dwarf(セックス小人の誘惑)」)からクラシックなR&Bのカバー(「Tainted Love(汚れなき愛)」)までカバーする彼らのデビュー・アルバムの成功に興奮していた。「Tainted Love」に至っては、驚くべきことに全米シングル・チャートに43週の長きに亘ってチャートインし、トップ10ヒットとなっていたのだから。
46. スクィーズ『East Side Story(イースト・サイド・ストーリー)』
1981年最高のアルバムの一つであるこのアルバムで、このロンドン出身のロック・グループはイギリスでトップ20を記録し、ヒット曲「Tempted」でアメリカやその他の国々に初めてその存在を知らしめた。
47. スティーヴィー・ニックス『Bella Donna(麗しのベラ・ドンナ)』
スティーヴィー・ニックスは、彼女の400万枚売り上げたデビュー・ソロ・アルバム『Bella Donna』でトム・ペティ(「Stop Draggin’ My Heart Around」)やドン・ヘンリー(「Leather And Lace」)とのデュエットに手を染めたが、この作品はそうした共演を抜きにして彼女単独であっても、成功したアーティストで伝説的スタイルを持ったスターである、という地位を確立した。
48. スティクス『Paradise Theatre(パラダイス・シアター)』
架空の劇場の誕生から終わりまでを描いたこの贅沢なコンセプトアルバムは、300万枚を売上てトリプル・プラチナ・ディスクに認定され、「Too Much Time On My Hands(時は流れて)」や「The Best Of Times」といったトップ10シングルを生んだ、シカゴ出身のプログレ・ロック・バンドにとって最も商業的に成功したアルバムだ。
49. ティーナ・マリー『It Must Be Magic(マジック)』
シンガーソングライターであり、様々な楽器を演奏するティーナ・マリーは、その4作目のアルバムを自らプロデュース。アルバムには、その後何十年にもわたり、定期的にサンプリングされループに使われているR&Bヒット・シングルの「Square Biz」がフィーチャーされている。
50. トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ『Hard Promises(ハード・プロミス)』
トップ20シングル「The Waiting(孤独な世代)」が一際光る、100万枚売上でプラチナ・ディスクに認定されたハートブレイカーズの4作目のアルバムでは、トム・ペティがその後のアルバムにも続く、より洗練されたソングライティング・スタイルの青写真を創り始めている様子が聴いてとれる。
51. トム・トム・クラブ『Tom Tom Club(おしゃべり魔女)』
トーキング・ヘッズのメンバー、クリス・フランツとティナ・ウェイマスが結成したこのファンキーでパンクなディスコ・パーティー的グループは、後にあちこちでサンプリングされることになるダンス・ヒット「Genius Of Love(悪魔のラヴ・ソング)」のアニメーションのビデオで初期MTVでの人気者となった。そしてこの曲はその後いくつかの有名なラップ曲のベースを構成することになり、そのうちの一つが1995年のマライア・キャリーのヒット曲「Fantasy」だ。
52. U2『October(アイリッシュ・オクトーバー)』
デビュー・アルバムに匹敵する作品を作るプレッシャーに苦しんだだけではなく、ボノは2作目のアルバムのレコーディングでスタジオ入りする2ヶ月前に肝心の曲の歌詞を書いた紙をなくしてしまった。だが問題はなかった。『October』は未だに彼らの作品の中でも最も人気のあるアルバムの一つのままだ。
53. ヴァン・ヘイレン『Fair Warning(戒厳令)』
デイヴィッド・リー・ロスが中心となったアルバム『Fair Warning』はタイトでハード・ロックな楽曲が集まった作品だ。アルバムは全米アルバム・チャートで5位まで昇ったが、シングル・チャートの成功には恵まれなかった。その代わり「Unchained」「Mean Street」そして「So Is This Love?(これが愛だって)」といったメインストリーム・ロック・チャートでのヒット曲を産み出した。
54. X『Wild Gift』
Xの2作目のアルバムは、ボーカルのエグジーン・サーヴェンカと当時の彼女の夫ジョン・ドーによる、彼らの愛と世界を表現した赤裸々な曲の数々を通して、80年代初期のロサンゼルス・パンク・サウンドを直截的に表現している。
55. イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)『BGM』
細野晴臣、高橋幸宏そして坂本龍一の3人の日本人によるこの先駆者的グループは、1981年最高のアルバムの一つに数えられるこのアルバムで、“ヤオヤ”(ローランド社TR-808リズム・シンセサイザーの通称)を駆使してその後の数え切れないほどのエレクトロニック音楽作品の青写真を描いてみせた。
56. ヨーコ・オノ『Season Of Glass(シーズン・オブ・グラス)』
夫ジョン・レノンがニューヨークの二人のアパートの前で殺害されてわずか数ヶ月後にリリースされた、ひるむことなく正直なアルバム『Season Of Glass』は、そのジャケットにジョンの血痕が残った眼鏡が使われており、ヨーコの深い悲しみをたたえる作品となっている。
57. ZZトップ『El Loco(エル・ロコ)』
ZZトップが1,000万枚を売上てダイアモンド・ディスクとなった傑作アルバム『Eliminator(イリミネイター)』でメインストリームのファンを鷲掴みにするその2年前に発売したこのアルバムで、彼らはシンセサイザーをいじりながら「Tube Snake Boogie」や「Pearl Necklace」といった曲ではちょっとエッチな裏の意味満載の歌詞で遊んでいる。
1981年の最高のアルバムのいくつかが抜けているんじゃないかと思う?是非下記にコメントを。そして我々のスポティファイの80年代ポップ・プレイリストを是非チェックして。
All entries by Tamara Palmer
Written By uDiscover Team
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